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トイレのこと…その1

 トイレは今でこそ温水洗浄便座が付いていて快適になったけど、昔はボッチャントイレでそれも古新聞でお尻を拭いていた時代があった。

 しかも昔は人の糞尿も畑の肥やしにしていたので、畑にまかれた糞尿の中に古新聞が見え隠れしていたのを見たこともあった。声壺のまんまの原液を巻くのではなくてかなり稀釈した糞尿を巻くのであろうと思われる。

 それゆえか小学校の頃には学校で一年に一回ぐらい虫下しの薬を支給されて飲んだ記憶があります。そうすると本当にお尻から虫が出てきたものでした。

 坊ちゃんトイレも平屋の集合住宅みたいな家ではトイレ付なんてのがありましたけど、家の中に入るとトイレ臭が漂ってきたりしたものです。当時風呂付の家なんてそうは多くなかったです。今でこそ毎日入浴朝シャンなんて言ってますけど、昔は週に二度ぐらい銭湯に通えればよい方だったと思います。

 集合アパートでは共同トイレが一つか二つなんてのもありました。
 これは部屋の中にトイレ臭を持ち込まないための方法のようでした。

 また田舎では家の中にトイレは作らずに、外のトイレだけ単体で建てる式になっているなんてのもあり、泊まりに行った時などろうそくを灯してトイレに行くのですが、暗闇にろうそくの火が揺れてとても怖かった思い出が幼少の頃にあります。

 今のように建物が多くて夜も何となく薄明かりではなくて、昔の田舎の夜はそれこそ本当に真っ暗だった時代です。または夜が恐いと思っていた少年時代ですから、夜が真っ暗だと思っていたのかもしれません。例えば月が出ているだけでも夜は明るかったはずです。

 そんなトイレ事情も建売住宅がたくさん作られるようになって、多くの人がマイホームを持てる時代になると、トイレもいつしか水洗に様変わりしました。

 そんな中、TVでも温水洗浄便座のコマーシャルが流れお尻は洗うものだなんて認識に変わってきました。が、温水洗浄便座が一般家庭に浸透するのはそれから10年後ぐらいになるでしょうか。

 日本人の性質として、清潔感が異常に強い面があります。

 それは過去の時代に不清潔であった反動だったかもしれません。例えばですが、昔の列車などの通路はゴミだらけもいいところでした。これは通勤電車ではないですよ。何時間かけて他県に移動するときなどのことです。

 昔は「東京は遠い空」という意味合いの歌詞が多く用いられましたけど、確かに昔は田舎からしたら、東京は本当に遠い遠いところにある場所だったのです。大阪もそうですし、各都道府県の駅前というのは遠い空の果てにあるものだったのです。

 日本のゴミだらけの列車は、ネットで探せば今でも見つかると思います。今は中国の人達が飛行機に乗った後がゴミだらけな感じですが、それも最近は少なくなってきているかもしれませんが、それと同じで昔は日本もそうだったのは事実なのです。その国の時代の変化と民度は比例しているのです。

 後年になっても観光的列車や遠距離列車などでは、駅弁の空は座席の下に置いてくださいなんてアナウンスがあったりしました。電車やバスなどの背もたれシートなどにはたばこの吸い殻入れが標準装備でした。あの飛行機でさえタバコは吸い放題でした。

 駅のホームの線路にはたばこの吸い殻が溢れていましたし、中には電車でタバコを吸っている猛者もいました。それと、駅に痰壺を置いてあったところも見かけました。痰壺で記憶に残っているのは今はJR西八王子駅です。西八王子駅にはたしか昭和年代ぐらいまで痰壺が置いてあったと思います。

 私道に痰を吐く人とか痰を見るのがいまでも嫌いなので、駅の改札出口付近に置いてあったその痰壺を見るだけでおぞましく思っていたものです。

 西八王子駅にはまだ上りと下りホームを行き来するための高架がなかった時代のことです。だから、ひょっとしたら痰壺が置いてあったのは昭和中期程度かもしれません。上りホームの改札口近くに置いてありましたけど、下りホームには置いてなかったと思います。

 なかなかトイレのことに話が行きませんが、自分が初めて長屋を借りて一人住まいを始めたときは、家賃が8,000円でした。六畳一間で右に押入れがありその横に一畳ほどのトイレ。六畳間の奥には板の間で、二畳ほどの場所にキッチンが付いていました。

 いや、キッチンと言うほど洒落たものじゃなくて、それは流しというやつです。そこにガスコンロが一つです。当時部屋の電球やガスコンロなどは自分で買い求めておくことになっていました。これは今でもそのような場合の部屋を借りるときは、自分で好きなコンロ台や照明を買うのが普通かもしれません。

 なんたって古い建物でトイレも当然にボッチャントイレです。
 開き戸で隔ててあるのですが、家に帰って来たときにはトイレのアンモニア臭っぽいものが漂ってきます。
 ウッとなりますが、それが不思議なことにすぐ馴染んで意識しない限り臭わなくなります。

 その頃はかなりぼろい部屋だけど、自分で漆喰の壁にを繊維壁を塗り上げたりしてきれいにして使っていました。
 ここで熱帯魚の飼育もしていて150cm×60cm×60cmの水槽を置くときは、床が抜けてはいけないと畳の下の根太を強化したりしておきました。

 水槽を置く台は町に鉄工所みたいなものがあった時代ですから、鉄工所でL字型角材で作ってもらうことが出来ました。当時で150cmの水槽が5万円で、水槽を置くアングル台が3万円ぐらいかかりました。

 部屋の中が水槽だらけになって来て家に帰ってくると今度は水の持つ独特のにおいとボッチャントイレの臭いが混じりあっていますが、どういうわけか水の臭いの方が臭く感じます。
 熱帯魚を飼育している水で適切にろ過もしていますから腐った臭いとかじゃなくて何というのかなあの水臭い臭いというのは実際のところあまり好きじゃないです。

 水臭い臭いもそれでも部屋の中に入って過ごせばすぐに気にならなくなるのはボッチャントイレと同様です。

 そんな生活を10年ほど続けてから、ようやくちゃんとしたマンション風の家に転居することが出来ましたけど、今でもあのボッチャントイレの長屋の性格は輝かしいわが青春の一ページだったと思います。

 マンション風の建物でのトイレは水洗ですが、まだ温水洗浄便座どころの時代ではなくて、いわゆる平たい金隠し式の和風トイレです。
 この形式のトイレになってから室内にボッチャントイレのにおいがするなんてことはなくなりましたけど、今度は熱帯魚水槽からの水臭い臭いがまだしていました。
 魚の飼育を止めない限りそれは当然です。

 当時の水洗トイレの多くは良くて浄化槽ばっ気式が殆どで、浄化槽からの排水は用水路の側溝や川に生放流していた時代です。
 八王子市は下水道の完備が遅れていましたが、近年下水道もほぼ完備してきたということで、浄化槽からの廃液は下水道に流すことになっています。

 最初のマンション風から20年ほど経ってから、再度新しいマンションに建物が変わりました。この時に温水洗浄便座になりました。

 私はトイレで大をしてからお尻を拭くのがヘタで、何度も何度もお尻を拭いてきれいにしてからトイレを出るので、それが温水洗浄便座になってから洗えばきれいになるので大変に喜んでいました。

 ここまで書いてきましたが雑感としては少し長くなってきたので、この続きは次回にするとしましょう。

 それでは次回にトイレのこと…その2を早めに書きますのでお楽しみに。

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