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黄斑前膜ってご存知ですか?

 目の病気と言えば、よく言われるのがドライアイや飛蚊症、白内障や緑内障等が挙げられます。私が病院で診察を受けて、あなたの病気はこれですって初めてパンフレットを渡され、ボールペンでマルがしてあったのが、この「黄斑前膜」と言う目の病気でした。私には初めて耳にした病名なだけに、目が点になる思いでした。

〈眼球の構造〉

 人が物を見るしくみは、目の中の瞳孔を通過して眼球内に入った光が、網膜というスクリーン上にピントを結び映像になると言われます。
「黄斑前膜」と言うのは、目の中にある眼球、その中の硝子体(透明なゼリー状の組織)が収縮して網膜から剥がれようする際に、うまく剥がれずにそれが網膜に影響を及ぼして炎症を起し、焦点のあたる部分を炎症が塞ぐ為に視力が低下してゆく症状です。(この説明は私自身のなった事例です。人によりそう症状は多少異なりますが、詳しい説明は明確な専門のサイトをご覧下さい。)

 症状としてはまず視力の低下、物が歪んで見える、波打って見える、大きく見える等の変化が現れます。年齢的には加齢が原因なので60代をピークに高齢者に現れる事が多いそうです。その中でも特に近視の人、女性が多いそうで私の年齢では少し異例ですが、30代の人でなった事例もあるそうです。

〈病名の発覚〉

 私がそれに気がついたのは、今になって医師に聞くと少し時期が遅かったようです。私は極度の近眼でずっとコンタクトだったのですが、5年前から疲れがキツいので眼鏡に変えました。告知される半年前くらいから年甲斐もなくゲームにはまっており、左目がよく霞む様になってきたな、とは思っていました。また地区や異業種の勉強会でも前を見ていると照明の加減で左目がいつも霞んだ様に見にくいとは感じておりました。眼科に行くきっかけとなったのは、前日の大雨で納品に行く得意先の道中の道路が冠水し、通行止めだった為時間があいたので眼鏡店でレンズの交換いったのがきっかけでした。視力検査の器具で左目を検査してもらったのですが、いくらやっても視力が会わず、店主もこれは一度、専門の医師に見てもらった方が良いとのことで、恐怖で重い腰を上げながらしぶしぶ眼科へ向かいました。普段から病気に対しては歯を抜くと言われるだけで気絶する様な臆病な私に、「手術です。」との一言は人生最後かと思う程のショックでした。専門の病院に紹介状を書いてもらうあいだロビーの椅子で目眩を起しておりました。

〈手術前の通院〉

 病院ではさまざまな検査が始まり手術日が決まったのは発覚してから1ヶ月後の事、手術内容は点眼麻酔で意識のある状態で眼球に3箇所穴をあけ、まず硝子体の中の透明なゼリー状の組織を抜き、そこから様々な器具を通して奥の炎症を切除すると淡々と説明されました。極度の恐がりなのでシミュレーションをして頂きましたが、顔に左目だけ穴のあいた布を被せられ、瞼を開く器具を付け、照明を当てられただけ。後は歯医者の椅子の用なものに寝っころがるだけです。えっそれだけって感じで「では当日頑張りましょう」とあっさり言われました。全身麻酔を要求いたしましたが、大げさですと笑われる始末でした。

〈入 院〉

 だいたい入院なんて小学校3年生の盲腸と脱腸以来何年ぶりでしょうか…。思い出します、盲腸の時に母親がこの子脱腸なんでついでに切ってやってください、「切ってやってください」って…子どもながらにそう思ってました。3時間もかかったのに…。
 入院病棟に入ると2人部屋で奥のおじいさんU氏も同じ黄斑前膜でした。以前他の病院で手術したのですが、経過が良くなくこの病院には日本でも有数の腕の良い医師がいると遠方から来られていました。
 手術当日は朝早くから点滴の準備、精神安定剤を朝食後に飲んでテレビで見た事のある緑色の服に着替えます。45分毎に点眼され、10時半の予定だったのですが、前のおばあさんの手術が長引いてると言う事で1時間も待たされました。(もうとっくに終わってる時間なのに…)この時に実は息子の事で事件があったのですが、長くなるのでまたこれは別のブログで書きたいと思います。(と言いつつもかなり長くなってます。もう読むの飽きた人もいるかもしれませんね)
 「では手術室へいきましょか。」看護士さんが呼びに来ました。私は朝からいや前日から心臓ばくばくのまま、初めて乗る車椅子に乗せられ看護士さんと嫁と手術室へ、テレビで見る風景ならベットに横たわり上から目線で、嫁と看護士さんが「大丈夫です頑張ってください」を想像していたのですが、なんか運動会のリレー競争みたいでした。

〈手 術〉

 手術室は宇宙船のコクピットの様な室内で、周りには機材がいっぱい。コンピュター関連が多かったように思います。
 どっしりとした高級マッサージ椅子の様なベッドに移され、いよいよ手術開始です。シミュレーションの時のように左目を開ける器具を設置され、穴のあいた 布をかぶされ、そのうえにレンズの付いた器具がどーんと寄って来ました。医師の顔が頭の方からさかさまの状態でそっと覗いて来ます。点眼麻酔をされ 「では手術を始めます」の言葉、緊張の一瞬です。
 医師が言っておられましたが、手術の中で最も金額の高いのが脳の手術で、次が目だそうです。目の手術には特殊な器具、菌が天敵の為に一度使った器具は使い捨てが原則。また人員もそれなりに必要で、たかが目くらいでと言う方もおられますが、相当シビアな手術だそうです。

〈白内障手術〉

 通常、黄斑前膜や緑内障などの場合、手術後必ずといっていい程1年以内に白内障になるそうです。だから白内障の手術も一緒にしてしまうそうです。
 手術時間は白内障で15分程度、黄斑前膜が30分から45分程度だと言われています。
 どうやら手術が始まったようですが、目の前には昔のコンピューター画面みたいなカラーのドットが常に動いていうような感じでした。痛くもかゆくもあり ません。医師がどんな感じですか?と聞いてきたので、ゲームの画面を見ているみたいで面白いといったら、そんな発想をしたのは漫画家の梶原一騎さんとあな たくらいだと言われました。人によっては万華鏡の様に見えたり、白黒に見えたり様々だそうです。しばらく手術中に医師と話していたら、「ここからは細かな 治療に入るので、おしゃべりはここまで」と言われ、小さな声で「すいません…」と手術中に気をつかってしまいました。
 白内障の手術とは、結局老眼になる事でこれまで目の中で伸縮しながら焦点を合わせていたレンズの役割をする水晶体が機能しなくなり、人工のものに取り替 える手術です。この伸縮しなくなった状態が老眼なのですが、私の場合機能しているのに取り替えるは少し悔しい気がしました。ただこの取り替える瞬間が何と も言えません。白内障の手術をした人と話をすると互いに「そうそう」を共感してしまいます。と言うのも、医師から一瞬暗くなりますといわれるのです。その 一瞬電気が消えた様に何も見えなくなります。あっレンズ抜かれた…。そしてすぐに見える様になります。意識のある手術って迫力があり複雑な思いになりま す。でも恐怖感は少しもありません。
 そういえば、手術前に看護士さんから「手術中何か聞きたい音楽ありますか?あったらCD用意しておいてください。先生はオールマイティーな方ですからど んなジャンルでも聞かれます。」との事、少し驚きましたが、手術の邪魔になってはと思い、「いえ、緊張感を味わいたいので遠慮します」とちょっとそこまで はと断りました。ヘビメタなんて持ち込んだらどうなるんやろ…?

〈黄斑前膜手術〉

  「ここからは見える物が面白くないかもしれませんよ」と医師に問いかけられていよいよ本番の手術です。痛みを感じたのは、この後すぐの2箇所の注射のよう な麻酔だけ、少しチクッチクッと2回、大した事ではありません。手術中も確かに機材た医師の手が見えたりはしましたが、先程の様に痛みもかゆみもありませ ん。例えるなら、目の上に透明の硝子が置かれそこを感覚もなく突かれている感じです。
 治療はまず硝子体の中のゼリー状の液を取り除きます。それは眼球内に傷が無いかを確かめる為なのですが、ここが入院生活の陰陽の分かれ道となる所で、な んとも無ければゼリー状に似た液を最後に注入しますが、少しでも傷があれば変わりにガスを注入します。なぜガスなのかは専門分野で調べてください。ただガ スの場合、ガスだけに性質上、上にあがろうとします。つまり手術後はうつぶせ状態がしばらく続くという訳です。
 入院前にサイトで経験された方のブログを見ましたが、うつぶせで3・4日は辛かったと書いてありました。
 約45分、あれは嫌だったって事もなく「手術は無事終わりました」と聞いた途端「先生うつぶせですか?」と聞いてしまいました。「大丈夫、眼球内は綺麗でしたよ」の言葉にほっと一安心。
 左目まわりにぐるぐる巻きでテープを貼られ、再び車椅子で病室へ。奥のU氏はこの後の手術だったので、何とも感じないよ安心して受けてきてと励まして私はベッドに置かれた食事を横目にちらり1時間安静を命じられました。
 1時間後食事を取り、安心した嫁は家に帰りました。左目はその日1日はそのままの状態で過ごしました。

〈入院生活〉

  次の日朝食事後、検診。眼科病棟は検診する為の室が眼科病棟内にあります。後から気がついたのですが眼科病棟を出た時、他の病棟とは空調設備が違って感じ られました。つまり目は少しの菌についても繊細に扱われるので、術後は特にふらふら出歩く事を禁止されます。だから病棟内に検診室があるのだろうと思いま す。

 左目まわりにぐるぐる巻きテープは外されて、シールドと言う眼帯の様なガーゼの部分が透明のプラスティックになっているものを付けられました。眼科病棟は老いも若きも伊達政宗風がいっぱいです。
 シールドのおかげで気も楽になり、入院生活としては体は何の支障もないのでそんなに苦もありませんでした。が、なんせする事が無い。本を読むと目は疲れ る、テレビも同じく、私は持ってきたPSPでずっとイヤホンで音楽を聞いていました。ゲームはさすがにしていません。病気発覚のトラウマになっていますか ら。
 だから眼科の病棟は、もともと高齢者の方が多いので一日中寝てる方が多い、テレビはつけていましたが超時間見ると疲れるので、横になっていると知らぬ間 に寝ている事が多かったです。ただ夜になるとこれが眠れない、昼間あれだけ寝てると寝られる訳も無く、入院して不眠症にならないか目より心配になりまし た。奥のU氏はテレビを一度もつけられたことはありません、相変わらずいつも寝てられます。
 食事は普通の食事です。目なので別に何を食べてもいい訳ですから病院食も制限がありません。ただ私は好き嫌いが多いので、入院前に嫁に病院食食べられる の?と言われていました。初めての日はやっぱり少し残しました。食べ終わると食器を片付ける場所があり残板は横のバケツに入れるのですが、誰も残している 人なんていません。高齢者の方が多いので好き嫌いもないのでしょう。次の日「昨日は食事残さず食べられましたか?」と看護士さんに聞かれましたので思わず 「はい」と嘘を付いてしまいました。「好き嫌いなく全部たべましょうね」と返事。ばれてたのかな。その日は意地で全部食べました。すると次の日看護士さん はその事に触れませんでした。その日の夜、あまりにもカボチャが多いので残飯としてバケツへ、次の日の朝「昨日は食事残さず食べられましたか?」と看護士 さんに聞かれました。完全にばれてる、てことは残していうのは私だけってことになります。皆さんえらい。
 入院中は朝から夜まで何回も点眼液を差しに看護士さんが来ます。一度差すともう5分もしたらまた来ますと、また点眼液、1回に3種類ほど差さなくてはならないらしく、奥のU氏も同様なので看護士さんも大変です。

〈退院の為の訓練〉

  月曜日に手術をして、水曜日の日に退院予定日を告げられました。7月7日の金曜日には退院できるそうです。よかったと安心もつかの間、薬剤師の若いおかっ ぱ頭の女性の看護士さんがやって来ました。なんだか大きなトレーに袋が沢山あります。「点眼薬の指導に来ました。これから点眼薬の入れ方などを説明しま す」退院後点眼薬は自分で入れないといけないので、その指導らしい、横になっていた私が起き上がったのですが、説明が始まりません。看護士さんの目がテレ ビに釘付けになっていました。モデルの小森純の結婚発表の記者会見に「うそー、うそー」とショックを受けておりましたので、「看護士さん、仕事、仕事」と 突っ込み。
 点眼薬は3種類、これを1日の中で5・6回点眼します。説明書に入れる時間帯と色分けで種類が書いてあります。奥のU氏は「わしは年寄りだから覚えられな い」とつぶやいておりました。点眼方法は1つの点眼薬を差すと3分間目を瞑って横になります。終わると次の点眼薬まで5分待って、次と結構めんどうな作業 です。

 目薬はよく、差して目をパチパチさせている方がいますが、これは薬が目から鼻筋を通るだけで意味がないそうです。するなら目頭を指で摘みする方がまだ効果があると言ってられました。私達の場合はまた薬が違うので長めに目を閉じてないといけない様です。
 昨日まで看護士さんが入れに来てくれたのはこれの事だった訳で、つまり退院してからはこの調子で自分で点眼してケアをしないといけない為の準備かと思うと少し大変です。
 この後4時間後からは自分でのこの点眼作業が始まります。嫁に話をしたら携帯に点眼時刻毎にアラームを設定していてくれました。初めての点眼の時間、奥のU氏に「目薬いれましょか?」と声をかけます。でも返事がありません。U氏はすっかり夢の中、大きな声で名前を呼ぶと飛び起きてきました。
 点眼薬を入れるときは必ず前もって手の消毒をしないといけません。点眼液の容器に菌が付いては基も子もありませんから。点眼する時間を計るのは私の役で U氏にその都度声をかけて3種類の点眼をしました。(U氏の点眼の目を瞑っている時間が短い様な、そんな気がするのですが、まあいいか)こうして退院の日 まで点眼の時間になるとU氏を叩き起こすのも私の役となりました。
 最後の夕食は、7月7日(金)七夕だったので、少し旅館のような豪勢なメニューでした。短冊に「はやく良くなってね」と書いた地元中学校のメッセージ、 豊岡での入院だったら、息子の学校からだったのかなあ。あっそうだ今日は結婚記念日だったと携帯で嫁にメールを打ちました。でも返信は返って来ませんで した。変わりにNetの仕事しているN社のN氏、Nばっかりですけど、その通り真ん中につっかえ棒がないと支えられない様な人です。面会時間ギリギリで めっいっぱい喋って帰りました。でもありがとう。

〈退院の日〉

  やっと退院です。退院後の決まりがいくつか説明されました。まず本格的に風呂にはいれるのは1週間後、それまで洗髪はできるだけ理髪店等で仰向けで目に入 らない様気をつけてくださいとの事です。それと激しい運動はや力を入れる事は控える、土は触らない事、できるだけ外出は控える、必然的に自転車には乗らな いでくださいとの事でした。U氏とはまた検診日が一緒なので会う日を楽しみにここでお別れ。
 1週間ぶりの外の世界です。7月初めだと言うのにすっかり真夏の暑さです。嫁に乗せられ一番に向かったのは散髪屋さんでした。でも1週間頭を洗ってない割には汚れてないのは、やっぱり病棟の空調設備が良かったのだと思います。
 退院後は、片目が不自由で車にも乗れず外出が困難な為、仕事にも大変支障がでましたが、緊急の打合せや納品等は嫁に乗せてもらいなんとか復帰は致しまし た。嫁さんには頭が上がりません。眼鏡がつくれたのは9月の下旬、視力検査をし主治医に処方箋をもらい、それをもって眼鏡店へ行ってやっと車にも乗れまし た。

〈ここまで読んで頂いた方に感謝です〉

 黄斑前膜と言う病気になって感じた事、片目が不自由と言うのはやっぱり不便、もう片目があると言えど、視野が狭いのはしんどいもんです。
 それと目の手術をする場合、近眼の人にはすごく不利を感じました。何故なら裸眼で過ごせる人なら片目にシールドを付けても車は乗れるし、パソコンもで きる。私のように極度の近視の人はシールドを付ける為に眼鏡はできないし、コンタクトの人でも手術した目には当分レンズは入れられない。これが白内障等の 日帰りの手術でも同じです。知り合いの方は白内障の手術の後、車で帰りましたと言ってましたが、裸眼で1.0だからできる事。
 ここまでお付き合い頂いた方はきっと、この病気が気になっている方だろうと思います。
 私も手術と聞いた時はネットで黄斑前膜について検索しました。するとご高齢のおばあちゃんのすごい丁寧に記録されている入院日記を見つけ励まされました。
 だから私も同じ様にこの病気以外でも目の病気の手術を控え不安な方や何か目について重く考えている方に、手術は痛みも無く、目に見える恐怖心も無い事を お伝えしたい。また医師に教えてもらったのですが、目が痛いのは疲れ目の症状が多く、問題なのは見え方、例えば霞むとか、急に視力が下がるとか、視野が狭 くなるとか後、歪んで見える等、見え方に異常を感じたらすぐ眼科に眼科に相談してください。私はあれから一年、おかげ様ですっかり完治しましたが(まだ1 種類だけ点眼液は入れていますが)少し検診が遅れたので眼球の奥の炎症に押された部分のしわが取れず、少し物が縦長に見えます。これは一生治りません。で も完治はしたのだから、それは慣れるしかない事です。
 最後になりますが、目が見えなくなる事は、やはり片目でも不便です。白内障でも放っておいても失明はしませんが、目の前が真っ白になると言われています。私の様なこんな臆病者が克服できたのですから、皆さんなら手術ももっと楽勝ですよ。
 書きだせば長いブログになってしまいましたが、最後までお付き合い頂いた方へありがとうございます。少しでもご参考になりましたでしょうか?
 何度も言いますが、変だと思ったらすぐ眼科へ。

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