映画館と自分

こんばんは。

小生の周りには映画の好きな友人がいるので、「映画館」という場所についてを書こうと思う。

深い意味はない。テーマは思いつきだ。

「映画館」は、小生にとって「非日常」である。

こどもの頃は、数えるほどしか行ったことのない場所だったけれど、友達とイオンモールに買い物に行くという特別なイベントの時にだけ足を運ぶ場所だった。

こどもの頃、イオンも県内にひとつしかない場所で(地元を離れて随分経つ今でもそう)、特別な時にしか出掛けない場所だった。

夏休みに行った訳ではないのだけれど、自分の中では「なつやすみ」のカテゴリに近いところに「映画館」はある。

特別で、なんだかわくわくする場所である。

その感覚の延長線上にあるからか、映画館には一人で行ったことがない。

別に友達としか行かないと決めているわけではなく、なんとなくそうであるだけだ。

実際、何を観たらいいのか、何が観たいのかと考えると、よく分からない。

ただ、あまり足を運ばないからこそ、大体何でも、何を観てもおもしろい。

どれがおもしろい・おもしろくないと考えるほど、比べる対象がないのだと思う。

金曜ロードショーは観ていたし(今でこそテレビ自体をあまり観なくなってしまったけれど)、ビデオテープを始め、今だとDVD・ブルーレイもあるし、インターネットで自由に好きなものを見ることもできる世界である中、まったく映画を観ないというわけではないのだけれど。

「映画館で映画を観る」というのは、やはり自分の中で特別なイベントなのである。

ただ、大人になってからは映画館に足を運ぶことの楽しみ方が変わってきた。

20代前半の頃は「好きな人と映画館に映画を観に行く」という事自体が自分の中のイベントになったこともある。書きながら思い出した。

けれど、今は「友達と過ごす特別なイベント」という楽しみ方に戻っている上で、別の楽しみ方をしている。

それは逆に、一緒に行く相手が好きな人であろうが、友達であろうが、同じ楽しみ方ができる。

「相手が観たいものをなんとなく観てみる」

これだけだ。

もちろん、同じ趣味や好みの映画を観たくて足を運ぶことも稀にある。

だけど、そちらのほうが稀だ。

もう根本として、「映画館に行く」という事がおもしろい。わくわくする。

そして映画を通して「相手が何に興味を持っているのか」例えば、その相手との付き合いの長さや深さに関係なく、同じものを見た上で「何を感じるのか」

それに興味が湧く。

もちろん、観たいなんらかの映画がある「相手」が、「本当に観たいと思っている映画」を選ぶ場合もあれば、「なんとなく」で選んでいる場合もあるだろうから、それ自体も含めてゆるっとした気持ちで観てみる。

映画が好きな友人であれば、自分の全然知らない話や知識を教えてもらえる事もあるし、そうでなくても「楽しかったねぇ」「おもしろかったねぇ」「つまらんかったねぇ」何でもいいのだけれど、相手がどう感じたのか、何が好きで何が嫌いかの片鱗に触れられることもある。

そして、映画を観ることで「相手との共通の話題」ができる。これは付き合いの長い相手であれば新しい側面をみられたり、お互いにあまり詳しくない相手であればその話を中心にお互いの片鱗に触れられる。

正直なことを言うと、これを狙っているから映画に行くというよりも、いろいろな人と映画に行った結果、後付けのように気づいた事、というだけなのである。

やっぱり自分の中の一番の動機は「映画館はなんだかわくわくする」からなのである。

そして大体、おもしろいなぁと思って帰るのである。

それは逆に、今まで様々映画を一緒に観に行った相手が、おもしろい映画をチョイスしていたのだなと思う。

もしくは、おもしろくなかったことは忘れているのかもしれない。

都合の良いものである。

そういえば、好きな人と映画を観に行くという事を楽しみに行ったはずなのに、映画の中身がすばらしくて、その人の知る映画をもっと知りたいと思ったことや、もうそれが叶わなかったことも思い出した。

「映画館」は「なつやすみ」ではなく「セミ」のカテゴリにいれるべきだろうか。

おあとがよろしいようで。では、また。






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