ペルソナ
ゲームの話ではない。
先に述べておくけれど、ゲームのタイトルの話ではない。
マーケティングにおいて、具体性を持たせて仮定された人物像のことを指すこともあるようだけれど、その話でもない。
このゲームタイトルを愛する友人たちに、勉強熱心なあなたに、誤解がないよう先に述べておく。
それと思って辿り着いてしまったのなら、申し訳ない。
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「あなたはこういう人ですね」
と、人に言われることがある。
誰しもあるのではないだろうか。
その内容に嬉しくなる事も、かなしくなる事も、ある。
けれど、それ自体に良い悪いは、別にないと思っている。
「私はあなたをこう解釈している」という提示にすぎない。
そんなことは、言葉の上ではわかっている。
そう、言葉の上では。
ここからは特に、小生自身の個人的な話になる。
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小生はバンドをしている。
つい最近、「あなたのアイデンティティは、バンドをしているということだよね」と、言われた。
はて。
アイデンティティとは、なんだろう。
バンドをしていようがしていまいが、ご飯を食べ、トイレに行き、ゲームをし、本を読み、風呂に入り、布団で寝る。
その人はこう言い換えた。
「それなしではあなたを語れない、あなたの中の要素でしょう?」と。
そうだったのか。
確かに、日常の一部だと思い込んでいることだったとしても、それはアイデンティティになりうるのか。
バンドというものは、小生のアイデンティティだったのか。
かくして「バンドを抜きにしては自分を語れない小生」像の完成である。
小生とバンドについての話が、その人と小生との間で続いていく。
ふと、ここで思った。
本当に?
小生は、バンドという要素を抜きにしては自分を語れないのか?
ペルソナ。
人が思い描く仮面を、みずからつけてしまうこと。
その、外し方を忘れてしまうということ。
ここでは「バンド」という小生にとってわかりやすいキーワードだったのだけれど。
「あなたはやさしい人だ」
「あなたは真面目な人だ」
例えば、特に悪気もない、なんならポジティブな感想。
別に、個人の感想を述べているだけということもあるので、それ自体に、その言葉をかけられるということに何の問題もない。
「その言葉の通りでないといけない」と思い込んでしまう時。
それが、厄介だなと思う。
ひとから見た人物像と、自分の中にある本音。
そのズレは、自分を偽らなくてはいけない訳なので、知らずのうちに負荷になるのかもしれない。
ならないのかもしれない。
問題は、
「仮面を被っていることにすら自分自身が気づかないとき」
あえて仮面を上手に選んでつけられる場合はよい。
また、その仮面自体がただの負荷ではなくて、
「生きる上で物事を潤滑に回す際、必要なものであるとき」
生活必需品であるのに、自分では気付いていなくて、相手からもそれを望まれていて、ああもう厄介厄介
この文章を、まとめるのが、厄介
フォルダの中の、フォルダの中の、フォルダの中の、フォルダの中のテキストがやっと見つかったけど、今ここどこですかというような厄介
バラした時計を組み立て直せなくなった時のような厄介
お気づきでしょうか
自分でも、広げた風呂敷を畳めなくなっています
小生は、真面目な話を突き詰めると、どこかで、パッパラパーになるスイッチがあるのですが
これは、性質だろうか?
これは、ペルソナだろうか?
おあとがよろしいようで。では、また。
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