平沢さん、教えて言葉の意味を

お読みいただく前にひとつ。
この記事を書いている今、私は平沢さんファン歴1年目の初心者であることを前置きしたい。

先日、『WORLD CELL 2015』のDVDを見た。
登場人物の一人、「アヴァター」が、その物語で体現した「不安」が生々しく印象に残った。
不安を打ち消す術を与える登場人物と「アヴァター」のやり取りは、過去の自分を見ている様にもどかしさを感じた。
やはり生きる上で、ある程度の主体性は必要なのである。

分かりにくさが味となり、壁となる

ここで、平沢さんを知って間もないというファンの一部は一度は感じるであろう問題に目を向けてみよう。痛いけど。

「わかりにくい」

リーフレットを何度読んでも、それ1つでは理解できないものがあるのだ。大体言葉が分からない。
『WORLD CELL 2015』は特に、前作とあるものがあるらしく、余計に分からない。
その分かりにくさとは、いったい何なのだろうか。

分かりにくさ=知りにくさ

毎度アーティストに申し訳ないと思いながらも、普段私はCDでもDVDでも、リーフレットは写真やイラストだけ見て、ケースにパタンとしまったら押し入れに入れて、もう見ないタイプだ。
しかし、インタラクティブライブのストーリーをさらに理解したくて、私はDVDのリーフレットの文字を読んだ。
知らない言葉が並んでいるので、類語辞典とインターネットで調べながら。
そして気が付いた。
平沢さんは物語を構成するにあたり仕込むネタとして、ある思考や概念を用いている。

こんな辺鄙なところまでアクセスしに来た平沢さんファンであれば、もう当然ご存じの事と思うが、私はまだ平沢さんを知って間もない初心者である。

そう、その文脈は、「知りにくい要素でできている」のだ。
2通りの事実から「知りにくい」と言える。
1つ目は、単純に扱っている言葉が学問的で難しく、日常で目にしない、慣れない情報で理解に時間がかかる。知りにくい。大体これに尽きる。
2つ目が、作品同士がどこかで過去の作品と、(ここでも多くは「知りにくい要素」で)つながりあっているので、それには他作品のことも知らなければ流れが読めない。

「受け取る側が仕上げる」作品たち

そんな感じなので、言葉の理解の仕方、平沢さんの作品の知識量によって、とらえられる作品の姿が違うのではないかと私は思う。

そしてそれは、とても面白い事ではないか。

自分では巡らないような思考を目にし、新しい概念を知ることは人生の豊かさにつながる。
作品の理解を深めるほどに、前に見た作品達もさらに味わいを増す。

そしてなにより、与えられた刺激について自分で考えることができるのだ。
光や音をただ受け取るだけでなく、どうとらえるか自分で偏光させて仕上げた作品を受け取るのだ。

さらに面白いのは、作品について平沢さんが明確な意味を提示せず、受け取る側が「自ら考えるように」と発言しているところ。
どうとらえても、正解・不正解がないのだ。平和である。

しかし、いちいち、なかば揚げ足を取るように言葉を調べるのは、律動が織りなす音楽と言うコンテンツに似合わないなと言うのが今の思い。
そこまで博学でなければ、なれば良い、インターネットの力を借りて。と、「(作品名) (解説)」と検索する今日この頃である。

本棚に並んだ現象学や宇宙の本たちは、いつ読んでも私の人生に豊かさを与えてくれるはずだから。

そして、平沢さんファンの先輩方々、私にわかりやすく作品と言葉の解説をしただけませんでしょうか?!

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