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コロナ療養中は千鳥の相席食堂は見るな。死ぬぞ。

こんにちは。Noelです。
前回扁桃腺除去手術をしたという経験を4つの記事に分けつらつらと書き綴ったわけですが、今回はコロナになって死にかけた話でも書きましょうか。
(健康ネタしかない人みたいやな私)


あれは忘れもしない2020年3月、志村けんさんがコロナによる肺炎で亡くなってから数ヶ月後の同年7月、私は独りマンションの一室で止まらない咳と共に確信する。

「絶対これコロナや」

ちなみにどこで、誰から、など感染経路は全く心当たりはなかった。
ただ大阪市内に住んでいるということ、当時接客業をしていたことから、日々人と接する事が日常だった為いつどこで感染してもおかしくない生活でした。

ただ、その頃はまだ扁桃腺も切ってなかったので「いつもの扁桃腺炎かな」とも思った私は病院で検査をしようとするも「市のPCR検査を受けてコロナ陰性という証明がないと病院来てもらったら困ります」と言われ、まず市のPCR検査を予約することに。

この時点で39度の発熱2日目と止まらない咳でかなりツライ。

市のPCRを受け、
翌日電話で死の宣告がくる。

「陽性でした〜、今ホテルも病院もパンパンで手配できないので基礎疾患のない30代以下の方は自宅療養でお願いします〜。なんかあったら保健所に電話ください〜」

とのこと。

いや普通に辛いんだが。

まあ、そんな事も言ってられない事態になってしまったのでとりあえず噂に聞いていた「市からの救援物資サービス」を受けようとネットから申し込みをする。
各自治体によってサービス内容は違えど、水やポカリ、カップ麺などの救援物資が受けられるとニュースなどで知り得た情報でした。
早ければ翌日には届くらしいのでとてもありがたいと思ってた。

※画像はイメージです。


(ちなみにこのサービス、当時すごく大阪市はコロナ禍で大混乱していたらしく、私の手元に救援物資が届くことはありませんでした^^4年経った今でも私は待ち続けていますよ大阪市さん☆)

コロナ一人暮らし自宅療養が始まって数日、
日に日に悪化する咳、マジで死ぬんじゃないかと思い、迷惑かな、と思ったけど我慢できず思わず保健所に電話。
事情を説明すると「みんな頑張ってるんだ貴様も頑張れ」と励まされ通話終了。

なんでや

その後、もう色々と辛い気持ちが限界突破して救急車を呼ぶ私。
自分がコロナであると告げた瞬間「コロナは管轄外だ。保健所に電話してくれ」と見捨てられる。

おいおい、死ぬて。

と思い、扁桃腺炎の時毎回お世話になっていた近所の耳鼻科に電話。
このままだったら咳で死ぬかもしれない。本当に苦しい。助けてほしい。と泣きながら訴える。

電話口の受付の人は幸いにもいつも優しくしてくれた人で、すぐに色々手配してくれ
「訪問医」という人を手配してくれた。

神なのか。
大阪市堀江にある小児科と耳鼻科のあるMクリニックです。
マジで神です。

耳鼻科の人が手配してくれた訪問医がその日のうちに来てくれて(この時点でコロナ発症から4日目くらい)私の状態を見て

「おそらくだけど肺炎発症してると思う。
酸素濃度が薄すぎる。危ない。
コロナの中等症レベルに値すると思う。すぐに病院を手配する」

と言ってもらい、先に肺炎の薬をもらう(これで結構マシになったかも。正直あんまり覚えてない)



翌日朝イチで病院へ向かえることになり、徒歩3分で着く病院へ約40分かけて向かう(リアルに道路を四つん這いで行った)

見たことないくらいバイ菌扱いされたが仕方あるまい。
お互い命がけなのだ。
レントゲン写真を見ると

肺が真っ白!!!!!

立派な肺炎(重症)でした。

ああ、これで入院できる。
助かった。。。と思ったのも束の間、先生が言いにくそうに(というかもはやモニター越しで防護服を着ての診察なので表情わからんが)
「今すぐにでも入院が必要なんだけど、今大阪市パンクしてて入院4000人待ちなんだよね。。。それまで家で待てる?」


無理やってwwwwwwwww


ちなみに私の実家は同じ近畿圏にあり、家族が「こっちの病院に空きがあればこっちで入院するのはダメなん?」と提案してくれたのだが、それは保健所のルール?で無理らしかった。。。

そしてコロナから重症肺炎に発展した私は病院から
肺炎の薬と酸素濃度を測る機械、そして酸素ボンベを持たされ帰宅。(何この状況)

当時のコロナ療養期間2週間、この時点でまだ5日目。
長い戦いが始まってしまった。

正直、熱が下がってくるまでの10日間ほどは覚えていない。
もはや意識がなかったと言っても過言ではない。
10日を過ぎたあたりから熱も咳も少しづつマシになってきた。

と言ってもまだ食べたりシャワーしたり、人としての最低限のことすらままならないレベルなのでベッドの上での娯楽(ネットフリックス)を楽しむくらいしかできなかった。

少しでも暗い気持ちを飛ばそうと
千鳥の相席食堂をポチ。

笑う→咳→咳止まらん→苦しい→めっちゃおもろい→苦しい

これの永遠ループで
特に伝説の長州力回と又吉回がほんまにおもろくて

これはマジで神回
「ちーよ」爺の破壊力えぐいねん


笑いと咳が止まらんくなってコロナ療養中で一番苦しくて死ぬかと思いました。
(呼吸が乱れて酸素濃度測る機械もびっくりの警告アラームが鳴る)

このままでは死ぬと思い療養中の相席食堂は封印しました。

でも、この相席食堂をきっかけに、少しづつ回復をとげ、
気がつけば咳も熱も治り、しっかり二週間と少しでしっかり立てるようになりました!

その後すぐにまた再度市のPCR検査を予約、無事陰性であることを確認してから改めて病院へ。
レントゲンを撮るとまだ少し肺が白かったもののコロナはもう陰性だったのでそこから少しだけまた自宅療養して、1ヶ月ほどで無事社会復帰を遂げました。

私は運良く味覚や嗅覚に後遺症が残らなかったです。
ただ耳の閉鎖感?こもっている感じが抜けず、これは数年後に判明したのですが恐らくコロナの後遺症?で難聴とメニエールを発病しました。
これは4年経った今でも投薬で治療中ですが右耳が聞こえないのと、左も低音がほぼ聞こえないです。

それでも好きな音楽は続けられているんだから人間って面白い。


まあ、コロナになって得たものをすればお金。くらいですかね。
めんどくさい手続きはたくさんありましたがその頃の私は時間もたくさんあったので手続きしまくった結果、結果的に100万近いお金を国からサポートしてもらえました。

ま、耳の代償としたら安いもんかな(何様やねん)


今では少し落ち着いた?緩和した?コロナですが
なんだかんだ笑ってこの話ができるのは命があっての事です。
明日は我が身、みんな必死に生きてほしいです。



せめて救援物資欲しかったなあ。。


Ito .N.Noel


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