20200503

快晴。雨の予報だと思っていたが。

やりたいことを書いて自覚したい。昨晩こういうツイートをして、それを掘り下げていくにはどうしたらいいのか考えていた。

これに「宇多田ヒカルは?」というリプが来て、そういえばR&Bもそうだなとおもった。でも宇多田って純粋にR&B ? あとm-floとか一時的にUKgarageだったよね。こっちも気になる。ここで生まれた疑問点は、

・骨太のビートに切ない歌詞が合うというのはなんでなのか(なんとなく僕はサウダージと関係している気がしているけど説明できない)

・2000年くらいのR&B、ガラージのJ-popへ与えた影響

後者はとりあえずimdkmさんの書いたものをかいつまんでよめば良かろ。前者は「悲しい音楽の何が悲しいのか」が頭に浮かんだ。こういうとき本屋にいってさくっと立ち読みして「あ、この本でいいな」と確認できないのはつらい。

野村喜和夫の詩に出てきた「生成変化」や「女性になること」についてなんとなく把握しておきたいなと思って昨晩部屋にある哲学用語辞典を開くが、本が古すぎるなと思った。新しくて読みやすいものが欲しい。あと生成変化に関しては単純に千葉雅也の本を読めばいいのではないかと思った。

ここまで自分の関心をざざっと書いて、書いている小説と解離していることがわかった。書いている小説は、ボーイミーツガールの形式で、僕個人の祖父に感じていた「遠さ」が核にある。というと何をいっているのか自分でもわからない。でもこれでいいと思ったのだ。それはどういうことか。

どういうことか、って書いたけどどういうことかわからん。小説には外国人が一人出てくる。彼がこの二点を繋ぐ役割をする。祖父へのアンビバレントな感情は、雑にいうと「象牙の塔としての学問を生きた世代への憧れと侮蔑」だ。外国人はこれを現代に生きようとする。このように生きることは現代においては自殺と大差ない。自殺しようとする人間と恋に落ちるのはボーイミーツガール的には王道なのではないか。こういう線で一つどうか。で、主人公は外国人と出会ってどう変化するのか。内的には祖父へのある種の尊敬が生まれる(彼がそのように生きれたのは時代によるものだけではなく、彼自身の意志があったのだということの認識)。外的には意志をもって社会に向き合うようになる。これでいいのか。

いいのかわからん。書いてみるか。

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