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なぜ私は書くのか、というよりだだ漏れているだけ
私は独り言が多い。
常々なおそうとは思うのだけど、まぁなおらない。
高校生の時、ホームルームの時間に、放課後に合唱コンクールの練習をするので残れる人は残ってください、と言われた。塾があるから無理やな、と思った。それがそのまま口から出ていたらしい。次の日にクラスメイトから「昨日は塾行くから参加できんかったんやろ」と言われて、何で知ってるんや?と一瞬怖くなった。何のことはない、全部自分がしゃべっていた。それくらい、無意識のうちに独り言を発している。ここまで読んで、こいつやばいやつや…病気やん、と思ったでしょう?だいたい合ってる。思ったこと、感じたことを口に出すか否か精査するフィルター機能?弁?みたいなものがぶっ壊れているんだと思う。あるいは生まれつき無いのかも。全部だだ漏れ。
なぜ私は書くのか。
私にとってその問いかけは、なぜう◯こをするのか、という問いかけと同じである。
出すしかないから。出さないという選択肢はない。出さなかったらどうなるかな、たぶんメンタルがおかしくなると思う。
小学生の時からずっと日記を書いていた。低学年の時、授業で書いた作文がえらく褒められ、全国の優秀作品が紹介される雑誌に掲載されたことがある。中学生の頃は、漫画やラノベを参考にしてオリジナル小説を書いていた(黒歴史)ブログが注目され始めた時、mixiが爆発的に流行った時、内容の薄い自己満足な文章や日記をほぼ毎日書いていた。性に合っていて楽しかったし、気持ちよかった。数回書いて、すぐに飽きて放置しちゃう人の気持ちが全然わからなかった。なんで続けないんだろう、こんなにおもしろいのに、と。
SNSには絶対書いたらあかんような感情だって、もちろんある。育児していてどうしようもなく子にイライラするとか、職場の上司が無能だとか、パートナーにあれこれ口出しされてめんどくさいな、とか、誰だってそれなりにネガティブな気持ちになること、あるよね。
私はそういう時、muute(ミュート)というアプリに書き留めている。
パスワードで鍵かけられるし、完全に自分しか見ない、デジタルの日記帳みたいなアプリ。絶対人には見せられない。だだ漏れる感情をまずはここに吐き出して、精神の安寧を保っている。書き出したからどうなるって訳でもない、「すっきりする」、ただそれだけ。う○こと一緒。
いやしかし。
このコンテストを企画した藤原華さん(@hana_heya)は、こういう自己満足な記事を求めてる訳ではないよね、絶対違う。何を犠牲にしてでも評価される作品を書いてやるという、狂気にも似た気持ち、孤独感、焦り、みたいな、圧倒されてため息が出ちゃうくらい「強いもの」が読みたいんですよね。ブルーピリオドで八虎が言う「全員○す」みたいなやつ。
子どもの頃の夢は小説家になることだった。毎年、創作大賞の告知が発表されると、今年こそ書こうか、と、胸の奥がチリッと焦げる。
でも、考えれば考えるほど、無理だな、と思う。藤原さんが、リサーチが全て、とおっしゃる点に深く共感する。今、世間で何が流行っているのか、日々の生活で疲弊している人たちが読書に何を求めているのか、自分は何が書きたいのか、それにお金をもらえるほどの価値を付加することができるのか。
うーん、全然足りないや。
熱意も覚悟も時間も、全部足りない。
なので、今はとりあえず本能の赴くままに楽しんで書いている。
フォロワーさんは、いつもこんな私のだだ漏れ文を読んでくださって、ありがとうございます。今回はお下品な表現が多いことをここにお詫び申し上げます。さーせん。
ふと思ったけど、私、今の時代なら、YouTubeでゲーム実況とかやるのが向いてるのかもしれん…
たい焼き
サポートするのかい?サポートしないのかい?どっちなんだい? する!!パワ――――――――――――――――――――