【随想】郵便料金のあり方#4(4/4)

 今回の郵便料金をめぐる一連の経過を見ていて、ふと郵便料金や郵便事業の意義に関して争われたかつての裁判を思い出した。
 これは、当時の郵政省が販売していた官製ハガキにつき、独占禁止法にいう「不当廉売」(不当に安い価格で販売すること)に当たるとして私製ハガキを製造・販売している企業が、郵政省を相手に損害賠償を請求した事件である。
 郵政省が発行する官製ハガキは、郵便ハガキそれ自体にすでに信書送達サービスの対価を表章する証紙が印刷されており、官製ハガキを購入すれば、別に切手を貼付しなくてもハガキに文章をを綴り、これを送付するだけでよい。しかし、私製ハガキはどうだろう。どこかの文具屋さんでハガキを購入し、これに別途切手を買って貼付しなければならない。
 至極当たり前のことだが、消費者が知り合いにハガキを送付する際に支払う金銭の額を比べると、私製ハガキよりも官製ハガキを利用した方が圧倒的に有利なのである。私製ハガキを使うと、ハガキ分の費用が多くかかってしまうからだ。
 もちろん、私製ハガキはその分、デザインや紙の品質などの点でより魅力的なハガキを作成し、消費者はそれらに多少費用を多く支払っても構わないと考え、こちらを選択してきたのである。
 でも、どうだろうか?最近でこそ、話題こそならなくなったが、かつて暑中見舞い用郵便ハガキとして「かもメ〜ル」などを季節ごとに販売していたことがある。これらは、お年玉付き年賀はがきと同様、懸賞(くじ)付きでも発行されていた(「くじ」付きは令和2年廃止)。また、信書送達の対価でもしくはそれに若干のプラスをして、「くじ」付きばかりではなく、有名な画家の絵が描かれているものもあった。
 私製ハガキと競争した結果、官製ハガキの方でもいろいろな工夫がなされたとみることもできなくはないが、そもそも両者の間では競争の前提が異なっている。郵政省・郵便局の「民業圧迫」的価格・サービスに対する不満が、この裁判の背景にはある。
 年々シュリンク(縮小)していく郵政の信書送達事業。拡大局面ではなく、今回のような縮小局面でこそ、その事業の意義・目的と政府負担の限界ひいては国民負担の受忍限度にも目を向けながら同事業のあり方を考える時期がきている(2024年4月5日記)。

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