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ウクライナ危機 26歳オルハの挑戦〜若者が変える草の根支援〜

23歳の時、隣国ポーランドで自らの財団を立ち上げたウクライナ出身のオルハさん(26歳)。ロシアの軍事侵攻を受けて母国から逃れてきた同胞を助けたいと支援センターを開設した。すでに1000人がボランティアとして登録。スマートフォンやSNSを駆使して効率的な避難民の搬送、支援の仕組みを作った。国際社会の支援が遅れる中、若者が変える新たな草の根支援のかたちだ。

クラクフ中心部の広場

ポーランド第2の都市クラクフ。17世紀までポーランド王国の首都だった。日本でいえば京都だ。ウクライナ国境からは200キロあまり。鉄道や幹線道路が直結しており、私が訪れた3月末の時点で、ロシアの軍事侵攻を受けて約12万人のウクライナ人が避難していた。ウクライナ人コミュニティと地元のポーランド人による支援の輪が広がっている。一方で国際社会の支援は届いておらず、長期的な支援には大きな課題が残る。

雪がちらつく中、ウクライナ人留学生などが広場で集会

市中心部の広場では、留学生などクラクフで暮らしているウクライナの人たちが毎晩ウクライナの平和を祈って集会を開いている。人口80万ほどのクラクフには、以前から15万人近いウクライナ人が住んでいた。実に市民の5人に1人だ。特にウクライナ西部の出身の人にとっては、地理的、歴史的、文化的に近いクラクフは暮らしやすい街だという。さらに周辺国では最も経済的に安定しており、ウクライ人にとってEU加盟国のポーランドは西側世界への窓口という感覚を強く持っている。

高級ホテルの駐車場に停まるウクライナナンバーの高級車

市中心部の高級ホテルではウクライナナンバーの高級車を多く見かけた。ナンバープレートの左端の青い部分にUA(Ukraine)という文字と国旗が記されている。ホテルの従業員に聞くとロシアの軍事侵攻のあと、多くのウクライナ人が宿泊しているという。ウクライナの富裕層は陸路、自分の車で国境を越えてホテルに滞在している。2014年、ロシアによるクリミア併合の時の避難民支援を行った地元のNGOの代表によると、当時も避難民の第一波は富裕層で、第二波は英語が話せて支援を自分で探せる知識層、そして第三波が英語も話せず、お金もなく、海外に知り合いもいない大量の避難民だったそうだ。今回も私が訪れた3月下旬の時点で第三波が押し寄せ始めていると話していた。

クラクフでウクライナ支援を続けるウクライナ人のオルハさん

4年前、クラクフで自らの財団を作ったオルハさん(26歳)。ウクライナでシングルマザーの家庭に育ち、幼少期、食べるものもない生活を経験した。大学卒業後、誰かの役に立ちたいとクラクフでファンドレイジングをしながらウクライナ人コミュニティの支援を続けてきた。

他の団体と支援について協議するオルハさん

今回のロシアの軍事侵攻を受けて、地元の4つのNPOと共同でウクライナ避難民の支援センターを立ち上げた。彼女がこだわるのは、大量の避難民を効率的に支援するためのシステムの構築だ。

避難民とのSNS上のやりとりに没頭するボランティア

わずか1か月の間に1000人がボランティアとして登録。SNSや新たに開発したアプリを使って、避難民の受け入れや生活する場所、子供たちの地元の学校への入学手続きなどを行うシステムを作り上げた。センターの場所や家具、パソコンやスマートフォンなどは全て地元の企業などから無償で提供されたものだ。ウクライナの人たちは驚くほどSNSなどで避難前に情報収集をしている。ウクライナ国内からは避難したいという切実な声が絶えないが、市内の施設はすでにどこもいっぱいで、これ以上受け入れられないというジレンマを抱えていた。ただ、こうしたシステムができたことでウクライナ国内に暮す人たちは事前に受け入れ施設を確保した上で、ポーランドに出国する人が増えている。国際社会からの支援が届かない中で若者が変える新たな草の根支援のかたちだ。

市内の配給センター。品薄状態が続いている

市内にある避難民のための生活物資の配給センター。全て地元住民が物資を購入して寄付することで成り立っている。しかし、ロシアの侵攻から1か月以上がたち、ポーランド人の寄付も少しずつ減る傾向が出ているという。オルハさんの財団でもこの日の前日、初めて寄付金が全く届かなかったという。毎日700人の避難民が訪れるこのセンターでは午後になるとからの棚ばかりになる日が多くなっている。

配給センターの昼過ぎの様子。空の棚が目立ち始めた

オルハさんによると避難した人たちにとって今一番必要なのは食料品。しかし、ウクライナ国内では、薬のほか、ヘルメットや防弾チョッキなどの軍の装備品が圧倒的に足りないという。薬品工場の多くはロシアの攻撃を受けて製造ができず、持病を抱える人たちが窮地に置かれているということだ。今回、ポーランドでウクライナ支援にあたる多くの人たちに話を聞いた。皆一様に強調していたのが国際社会からの支援の必要性だ。市民の草の根の支援やポーランド政府だけの資金提供には限界がある。支援の現場を実際に見てみると、私たちにも何かできないかという怒りに似た感情が込み上げてきた。

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