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出来ないんでも仕方ない

3月がいつのまにかもう終わろうとしている。
思えば今年度は密度が濃かった。私が苦手だと思っていたことを体験し、改めて自分が自分らしくいれる環境が限られていることを再認識した一年だった。

同世代の間で人気なMBTI診断をしてみたところ、INFPだった。つまり、内向的で、直感を信じ、感情に身を任せるタイプである。正直なところ全然魅力的ではない性格だと個人的に思う。だってMBTIをアニメキャラクターに当てはめたまとめ画像をみるとINFPにあたるのはドラえもんののび太だったし。文字だけで見てもいわゆるメンヘラみたいで最悪だなーとも思う。(これは同族嫌悪みたいな気持ち)とにかくもう、全然嫌!という感じだ。

が、実際自分を顧みてみると診断結果に納得できる部分が多い。
まず大人数の飲み会が苦手なところ。誰とでも喋ることができる人たちの気がしれない。自分で自分の居場所を作ることができず、家に帰りたいな〜と思って過ごしている。
学校の教室でも同じだ。クラスメイト達は色んな人と毎日ずっと何某か喋っているけど、一体そんなになぜ喋ることがあるんだろうと思っている。
1人がとても楽しい。なんでもできる気がする。

結局のところ、自分の世界に没頭していて、それを上手く外に発信できないから、うまく他人と関係を持てないんだろうなぁと思う。みんな別に大した意味もなく、なんか空いた時間を暇つぶしに喋ってるだけだ。それを自分は無駄に深く捉えすぎ、無駄に言葉に気をつけて喋ってる。
私にとって誰かとのおしゃべりは穏やかな語り口であったり柔らかい雰囲気を武装して臨まないといけないものだけど、外交的な人にとっては丸腰のままで踊ってるみたいに軽快で楽しいものなのだなぁと感じる。
そうなりたい自分はいた。それを目指して丸腰で踊ってみたけれど、後々恥ずかしくなって居た堪れない気持ちになるし、丸腰だとやっぱり傷つく。外交的な人は経験が多い分スルースキルも高い。私は鋭い言葉も避けずに全部受けて血が出る。自分で思い出してしまうからかさぶたになった傷も自分で掻きむしってまた血が出る。

そこから私自身は、誰にでも対等に接することなんてできないなと悟った。そして誰かれなく好かれることを諦めた。理想的な自分は現実には存在しない。ただそれだけのことだ。

今まで理想的な自分に縋りついていた気がする。それは美術をやっている中では、自分の美学を究めることが作品の良さになっているから評価されるべきことだと思う。でも、会社に属して仕事をするにあたって、自分の考えに固執せず、臨機応変に態度や行動を変えていくことが必要だ。その場しのぎではなくて、環境に合った自分になっていかないといけない。

そしてその目的は誰かに評価されるためではなくて、その環境で自分らしく長くいるためだ。だからこそその評価基準に合わせるのではなく、自分としてできることを意識して仕事を行う様に意識したい。それが私を失わずに楽しく仕事をする近道なのかなと思う。
具体的にそれをどう実行していくのかは、働いてみてからでないとわからない。けれど、社会人だからと自分のやりたいことを諦めることがない程度に頑張りたい。

でもこの目標も理想的だ。空想に近い。また自分にとって高いハードルなのではないか?と、いちいち臆病になる自分がいる。もっと白黒思考にならず、自分に寛容になるべきだと思う。頑張るではなく、失敗してもしゃーないくらいの方がいい。不安を不安のまま留めておくネガティブケイパビリティが必要だと産業カウンセラーの先生も言っていた。それには「まぁいっか!」の気持ちが必要だそうだ。
まぁいっかなんて思えない!色んなことにくよくよしてしまう自分だけれどそれはまた今度考えようと思う。

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