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この桜は自分のため

ジムの帰りにせっかくだからと、ちょっと遠回りして川沿いを歩いた。
川沿いにはちょっとした桜並木がある。昨日はすこし雨がぱらついたりしたけれど、あまり強くは降らなかったようだ。雨で花が散ることはなく、夜桜がとても綺麗にみれた。
川のすぐそばには公園もあり、そこにもかなりの数の桜が植えられていて、私の視界は奥の奥まで桃色になるくらいに満開の桜に囲まれていた。なんだか一人で見るのは勿体無いと思ってしまうくらいにいい景色で、すこし感傷的な気分になった。

数年前、はじめて一人暮らしをしていたときもたくさん散歩をした。素敵な景色や不思議な看板とか、色々見つけて楽しんでいた。その度、こういう日々のちょっとした楽しみを共有できる相手がいたらどんなに良いだろうと思った。そんな目的を含めてマッチングアプリに勤しんでいたのを思い出した。が、人の欲とは恐ろしいもので、それを達成することができたらさらに上の欲が出てきて、求め続けるようになってしまう。そんなささやかな幸せだけでなく、確約された将来とか、過度な愛情表現とか、相手を全て知りたいと思うこととか。

研修でお金・平和・愛・仕事・家族の中で優先順位をつけるという課題があった。隣の人と意見を交換してみると、私も彼女も平和と愛の優先順位が低かった。理由を聞くと「自分以外の人を変えることは難しいから」と話されていた。この言葉に私はすごく共感した。また、自分がどうにも出来ないことに対して悩んでいたとも感じた。平和も愛も、他人の考えによってあるもので、必要だと自分で思ったとしても求めて得られるとは限らない。

夜桜を一人で見れたことが良かったと思う。唯識論者の方のようにこの網膜に映った空が自分のものであると思うように、私はこの目の前の桜が私だけのもののような気分だった。すごく心が満たされた気持ちになった。
これから私はまず私自身が精神的自立を図るために私のご機嫌とりを沢山したい。誰かのために何かする自分だけを評価するのは危険だ。折れない自分を作るためにどの私も受け入れてあげたい。自分が一番の味方でありたいと感じる。

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