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国試へのモチベーションを上げるための日記

いよいよ精神保健福祉士の国家試験が近づき、私は完全に挫けている。
年末ようやく色々あったことへの気持ちの整理がついたと思ったのに、またも学校で多数の人との関わりにぐったりした。誰も悪くない。ただ私の加害者意識と誰かへの否定的な気持ちで頭が他責と自責とでいっぱいになる。無駄な時間だ。

そんな無駄なことを考えていて、どうしようもなく自己否定的な気分になる。
なんかもう資格取得出来ないかも。引っ越して一人暮らしなんて、できないかも。なんでなろうとおもったんだろう、と、一番考えてはいけないことまで考えている。

精神保健福祉士になろうと思ったのは、祖母がアルツハイマー型の認知症になり、母がそれにうつっぽくなったことを思い出したからと、よく言っている。自分が家族に対してできることを増やしたいと思ったからだと。

でももっと強くあったのは、自分が発達障害だという可能性を知りたい気持ちだったと思う。思えば私は普通の両親から生まれ、好きなことをさせてもらえる暮らしをしていたのに、なぜかずっと生きにくかった。それがなぜなのか解き明かしたいという気持ちが強かった。

でも精神保健福祉士になったからといって医師ではないから自分が発達障害かなんてわからない。わかったとしてもそれを抱えていくだけだ。

家族に対しての支援というのはできると思う。例えばいまならなにもわからず万引きしてしまう祖母を日中のデイサービスに通ってもらうと言う選択肢もできただろう。母を認知症カフェに連れていき、私が理解してあげられない悩みを聞いてもらうこともできただろう。
今だって、私が適切に関われる余裕があるのならギャンブル依存気味の父に対してできることがあるかも知れない。それをしていないのは私のキャパ不足なのだが。
家族への支援ができるようになるには、もっと現場で正しい認識を得ることが必要になる。そのため、だけではないけれど、病院で働くことで経験を積むことは自分の家族や自分のためになる。

一年前はグループホームで働いていた。大変だったけれど、とても充実し、楽しい時間だったと思い返す。
利用者さんとチェーンソーマンを見て、展開に一喜一憂したり、利用者さんの惚気話を聞いて嬉しくなったり。
〇〇さんはわかめが好きだから、とたっぷりわかめのお味噌汁を作ったり、冷食が不味いから工夫して焼き目をつけたり。
エゴではあるけど、誰かのために試行錯誤するのってすごく楽しかったし、やりがいがあった。
利用者さんは皆精神障害(発達・知的含め)を持っていたけれど、私がお声がけをすればそれに応えてくれたり、信頼関係が築けて色んな話ができるようになった。利用者さんの価値観や生活を大切にしたいという気持ちが私の中に芽生えたのは利用者さんのおかげだった。

私は今かなり気持ちが参っていて、私には何もできないと思ってしまっている。でも過去の私が人のために何かすることに楽しさを感じていることを思い出して、安心した。
あのころは知識がなかったから、間違った対応や、言葉がけをしていたかもしれない。けれど、今知識があるから適切な対応ができる。精神保健福祉士になれば、グループホームの業務よりもっと主体的にコミュニケーションを取る機会を得られる。

グループホームで出会った利用者さんにはできれば自分の職場では会いたくない。それは再発しているということだから。
でも、利用者さんと同じ立場の人の暮らしを支えられるような人になれたらいいなと思う。私の関わった人が今後の人生を楽しく過ごしてくれていたらそれが一番だ。

精神保健福祉士になるにあたって、役立つ支援者になれるように今は知識の蓄えが必要だ。
明日からもたくさん学びを深めて、ちゃんと国試に合格する。今まで出会った利用者さんに顔向けできるような、頼りになる精神保健福祉士になりたい。

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