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立往生

恥ずかしい話を今からしようと思う。でもこういう落ち込んでいる時期のことも残しておいたほうが、後で振り返ったときにきっと思い出になっているはずなので、性懲りもなく書き残すことにする。

今でもこのnoteを見てくれている人たちありがとう。この一年で購入してくれた人も何人かいて、すごく嬉しかったよ。



この半年間、毎日が苦しかった。別に死にたいってほどではなかったけどって書こうとしたけど、死にたいって何度も思ったのを思い出した。

「なんでこんな風になっちゃったんだろう」とか、「なんでこんなに幸せを感じられない毎日が続くんだろう」って、沢山考えても答えが出なかった。

思えば私は少し、大人になりすぎていたのかもしれない。


シェアハウスをするようになって、最初の二か月ほどは楽しかったが、見えてきたのは同居人たちがあまりにもお互いのことを思い合って生活できていない環境で、私はその中で一人頑張って仲を取り持とうとしたし、家事や掃除は他の二人の何倍もやった。

だけれど私の生活が苦しくなるばかりで、その一方で友達からは「もっと自分勝手になりなよ」みたいなことを言われるようになり、どうすればいいのかわからなかった。


そんなこんなしているうちに、その暗い雰囲気はお客さんに伝わってしまったようで、着いてきてくれていたお客さんも二人ほど離れていった。

私自身にも、前のような勢いがないのを痛いほど実感している。正直、接客できるほどの精神力では今無いのだ。


いつからだろう、私は自分の幸せを後回しにするようになっていった。

自分に自信が無くて受け身になるばかりで、さらに悪循環になっていった。

思えば、家選びの段階からそれは始まっていたように思う。自分はきちんとした会社で働いていないから、2人に契約を任せてから、それから同居人の一人がすごく我儘で協調性が無くて、私がその間を必死に取り持とうとした。

本当は同居をしたくなかった部分はあった。もちろん決定したのは自分の意思ではあるが、半ば2人に押し切られてしまってやってしまった感はある。


今日も、このもやもやとした気持ちを整理したくて考えていたのだが、多分私はどこかで「自分が幸せになること」をこの一年間諦めていたように思う。

自分が幸せになるよりも、友達を幸せにしたかったみたい。私と同居したいって、そのためなら何でもするって言われて、私は本当は嫌だったけど「いいよ」と応えたのだ。

なんか昔おさーんに「君は自分が幸せになったらいけないと思ってないか」って言われたような気がする。それは親の宗教の影響や、親の影響があるとかそんな話。

それで「幸せになっていいんやで」みたいなことを言われたような言われていないような。昔のメモを見返してみた。


「貧困ってな、貧困から脱け出せんのや
俺とかなら、ブラックに勤めたら即辞めやけどな
責任感とか、これを辞めたらっていうのが怖くて辞められへんねん
その思考こそが貧困を招いてる
貧困もそうやし、生きづらさを感じている人って優先順位のつけ方が下手やねん
自分はこうしたいけど、あの人が、この人が
どんどん自分でええ環境を作っていける人、結果的にいいように進める人って、自分の幸せを最優先にしてんねん
自分だけが幸せになったら、申し訳ないって思ってしまうことってあると思うんやけど
→幸せの総量の話まず君が幸せにならな
自分が幸せになれば周りももっと幸せになれるやろ」


ああ、なるほどなと思った。前半のことはまさしく今の私の状況を指している。まさか5年越しぐらいに、同じことで自分が沼っているだなんて思わなかった。メモを取ったり、書き残す癖を残しておいてよかった。


改めて、自分に対して「もっと幸せになっていいんだよ」って再度言ってあげられたとき、涙が堪えきれなくなった。周りの心配ばかりして、自分のことは本当に隅に置いてばかりで、この一年とても辛かった。

同居の解消も決定し、11月にはまた一人暮らしが始まる。

これからは、今この瞬間からはもっと自分の幸せのために生きよう。やっぱり自分を蔑ろにしながら、他人を幸せにするのって本当に無理らしい。もっと人生楽しみたい。

サポートして頂けると、これからも頑張れます。