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[書評] ファスト教養 10分で答えがほしい人たち

はじめに

Twitterで見かけておもしろそうだったので早速入手して読んだので以下メモする。

書評

書店に並ぶ「教養としての◯◯」といった書籍を見たときにモヤモヤを感じたことはないだろうか。ファストフードのように手っ取り早く知識を摂取するコンテンツがあふれる現在、その発生原因について、消費者である現代人のおかれた環境を考察し(跋扈する自己責任論や成長への信仰、それらに取り残される不安など)、そういった消費者にコスパ(タイパ)よく情報を提供している某YouTuberたちを例示しコンテンツ制作者の思想を明快に指摘している。このファスト教養、モヤモヤしつつもコンテンツについ手が伸びてしまう点もファストフードに近似しており、うまいネーミングだなと感心した。ぜひみんなも読んでみてほしい。

引用&コメント

P.41

短期的な効率の良さがあらゆるものを評価するうえでの重要な基準となりつつある。努力よりも運・ツキに左右されがちな世の中だから、地道に何かに取り組みスタンスは「コスパ」が悪い。それよりも、最小限の努力で最大限の成果を上げる方法を考えたい(中略)こういった考え方は「物事をハックして成果を上げる」ことにこそ価値が置かれるファスト教養と非常に相性が良い。

最小限の努力で最大限の成果を上げるというのは特に社会人では重要な心がけだと思う。がしかし、「物事をハック」することで努力量を減らすというのはやはり危険だと思う。自力で作文することができない人が最初からChatGPTに作文させることは効率化ではなくハックだろう。


P.42

ビジュアルな情報はあっという間に感覚に入る。脳は瞬時のうちにそれを享受することができるわけですけど、文字言語はイメージと違って、すぐに像が結ばれない。イマジネーションを動かして自分で像をつくり上げなくちゃいけないわけです。実はこれがすごく重要です。効率という意味では非常に悪い。文字から像までには時間的なラグがあって、そこで考えたり想像しないといけない。これはわずかな時間なんですけど、ずれているその間に自分の脳が想像力と思考力を働かせる。そこではじめて言語の運用能力が出てくる。本じゃなくちゃいけない最大の理由がそこにある。それは本以外には考えられません。本はある意味では時代おくれの遅いメディアなんだけど、その遅さのなかに途方もなく重要な精神の形成力がある。

ここは小林康夫氏の『教養のためのブックガイド』からの引用部で、自分としては非常に響いた部分なのでまるごと引用した。なぜ本を読むのはいいことなのか?どんな知識をインプットする以外にどんな効用があるのか?については色んな意見があるが、この小林氏の指摘はこれまで聞いたなかで一番納得感があった。脳の想像力と思考力を働かせる際には言語の運用能力が必要。映像や写真(あるいはキャッチフレーズ化された極端な要約)などは脳を働かせることなくインプットされるので脳が疲れない=鍛えられないのだろう。読書大事だな。


P.53

変化の大きい時代で「脱落」しないために教養を学ばなければならない。そんなスタンスに立った場合、「人生を豊かにする教養」を悠長に学んでいる暇はない。「教養が足りないとビジネスシーンで使えない」「使えない、つまりは稼げない」という恐怖に苛まれる中で、教養に触れる際にもビジネスにとって重要な「スピード感」「コスパ」が重視されるようになる。そういったビジネスパーソンのニーズと課題に対して過不足なくミートしているのがファスト教養、という構図である。

ここね。ファスト教養の消費者像をわかりやすく描写している。


P.57

そこから生み出されるのは咀嚼する力を必要としないファストフード化された情報の集合体である。

某YouTuberのコンテンツ制作ポリシーとそのアウトプットを指してこの指摘。辛辣だが的を得ていると感じた。


P.150

筆者の実感として、特定のジャンルに明るくなるためには、「はずれ」も引きながら身体でその分野の空気を覚えていく必要がある。また、自分で見つけたという感覚自体がそのカルチャーにのめりこんでいくきっかけにもなり、そのような経験も過去に何度もしてきた。

音楽などのカルチャーを、ビジネス上の会話についていくためだけの「教養」としてつまみ食いする人々に対しての著者の経験を踏まえた意見。そもそもゴールが違うのでつまみ食いする人たちには相容れない話だと思うし、こんなふうにじっくり取り組む時間も心も余裕がないんだろうな。自分も仕事と子育てでいまは余裕がない。


P.166

AKB48の動きは結果として「公共財としてのポップミュージック」を破壊した。ヒットチャートが乱れた結果「今流行している音楽は何か」という指標が失われたことで、世間における音楽への関心は停滞した。

そうね、むかしCD売上ランキングにウキウキしていたことを思い出した。いつの間にか、似たようなアーティストでいつもトップ10が埋め尽くされているようになって興味を失った。酷いときには同じアーティスト(アイドル)でトップ10の大半を占めてたりしなかった?


P.173

「近年の『身体』をめぐるベストセラーに注目すると、以前からみられるダイエット関連の書籍に加え、開脚、体幹、ふくらはぎといった特定の身体部位に注目し、それらへの働きかけによって人生の諸問題が一点突破的に解決するとする書籍をいくつかみることができる」という。この流れは、パーツ単体にアプローチすることでクイックに成果を出したいという心理の現れだろう。

肩甲骨を剥がしたりね・・・。


P.200

あなたは繰りかえして読む本を何冊くらい持っているだろうか。それはどんな本だろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかしあなたの古典がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。

いまの自分に“あなたの古典”はなかった。正直同じ本を複数回読むのは気が乗らない。それでも手元に置いてある本はいつかまた読もうと思っているわけなので、これを機会に手に取ってみよう。


P.209

読書家・作家の読書猿も、教養というものを「運命として与えられた生まれ育ちから自身を解放するもの」「自身の弱点や制約に対抗する知恵や工夫を、私達は知ることで開発することも、学ぶことで手にすることもできる。こうして私達を自由にするものを、私は教養と呼びたいと思います」と定義している

自由を得るために学ぶ、というのはなんとなく士農工商の時代に元の立場を超えて出世していく仰々しいストーリーを連想してしまったが、自分自身としても、知らなかったことを知ることで問題が解決したり新たな発想を生み出せるという小さな実体験もある。得たい自由とは何かを改めて考えたい。


P.221

どんな文化においてもアウトプットの質は受け手の質に規定される。革新的な取り組みの意味を理解する一方で適当な仕事に対しては容赦ないダメ出しを返す土壌の一員となることは、仮に突き抜けた個になれなかったとしてもイノベーションを社会全体として生み出すうえでの重要な役割を果たしていると言える。

ここ重要だと思った。ずば抜けた天才が一人いたところで、受け止める側のその他大勢が無理解だったり逆に無思考に受け入れたりするようでは、天才のアウトプットはものにならないだろう。斬新なアイデアは出せなくても、そのアイデアを理解し、吟味し、フィードバックできる個でありたいし、そういった個を増やさないと社会としてレベルが低迷してしまうのではないだろうか。

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