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過去の日記.写真と故郷

なんてこった!tumblrって投稿日時がわからないんですねぇ…!

ということで詳しい日付はわからないけれど、これから投稿する日記はすべて三、四年前くらいのものです。

恥ずかしい部分もたくさんあるけど、あえて編集はせずにそのままで。それが味になるかも知れないし…(?)

やっぱりこの頃はまだまだ夢見がちです。


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自分が写真を撮るのを特別上手だとかは全く思わないけれど、やっぱり綺麗だと思ったものは残してみたくなる。「あ」って気づいた瞬間に歩きながら、あるいは足を止めていつの間にか撮っちゃってるから、たまに一緒にいる人がこちらを振り返って「窓子〜?」って名前を呼んだり…友達にはちょっぴり申し訳ない。

私は少し前まで自分の写真を撮られるのがトラウマで、写真自体にもあまり興味もなかった。でも、ある友人のおかげで撮るのも撮られるのも大好きになったんだよなぁ。

写真を見返して色々なことを思い出したり、綺麗なものの記録として見たり…写真を見返す時間がすごく大切で、大好き。

撮られる瞬間も好き。どんなふうに撮られるのかちょっとドキドキしたり、友達とバカみたいに笑ったり、変顔したり、少し照れたり、盛れた〜!って騒いだり。キラキラしてる…気がする。

実は最近、地元の景色も撮ることにしてる。私、地元が大好きで。何にもないっちゃ何にもないし、都会に比べたらドのつく田舎だけど、それでもやっぱり小さい頃からのあたたかい もしくは冷たい記憶が積み重なった、私にとってとても重要な場所。地元の何が好きって、緑の多いところがすごく好き。私は煩雑な場所はたまに行く程度ならとっても楽しめるけど、やっぱり落ち着いた静かな場所の方が住んでて気持ちがいい。悲しい時、嬉しい時、ドキドキしてる時、怒ってる時、私は泣きながら、スキップしながら、携帯をいじりながら…いろんな形で家を出て、地元を歩く。そんな時、地元の公園や緑は私に表情を変えて寄り添ってくれているような気がする。ちょっとロマンチスト過ぎるかもしれないけど…。たとえば、すごくショックを受けたある雨の日、風がごうごうと吹いている中、林の木々がさわさわ…って音を立てて揺れたのね。私にはそれが「大丈夫 大丈夫だよ」って声に聞こえた。整備された綺麗な街並みの都会や、他の緑の多い牧歌的なふんいきのただようあ素敵な田舎も憧れがあるけれど、それでもやっぱり地元にはもっと別の感情がこもってるんだよね。それをきっと「故郷」っていうんだろうな。

まだまだあまちゃんな私。家を出たいって思ったことは多々あれど、やっぱり故郷は離れがたい。もう少しここを地元にしていたいな。

いつか私がこの場所を故郷にして、大人になってまた帰ってきた時、私の心に時に背景として、時に同情として寄り添ってくれた景色はもうなくなっているかもしれない。「大丈夫だよ」と囁いてくれたあの林の木々は切り倒されて、あたたかな家庭を守る家になっているかもしれない。だから私は、もう今は当たり前だと思うような景色もたくさん撮りたい。勿論、心や目にも残しておきたい。全てずっと覚えていたいなぁ。そう思ってからは、今までそこにあるのが当たり前すぎて気づかなかった地元の良さや、綺麗な花や、素敵な場所に気づいて、写真を撮るようになった。故郷へ…なんてジジくさい言葉だと思っていたけど、どうしてもそうやって少しおセンチな考えに浸ってしまうんだよね。いつも私は歳を重ねることを少し怖がりながら生きている。

いいや、その話はまた別の日に。 故郷へ、まだ子供な私を見守っていてね。大好きだよ。ずっと忘れないよ。


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