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新芽の季節

こんにちは、i です。
ずいぶんと久しぶりのnoteになりますが、皆さんお元気でいらっしゃいますか。
今日は近況と、最近思ったことなどをつらつらと書いてゆけたらと思います。

ここ二年ほどは、じっくりと自分の中を見つめ直すような期間でした。
自分のコンパスを作り直しているような期間、次の旅の目的地を探しているような期間だったのだと思います。今はすっきりと霧が晴れ、とりあえず向かう方向がわかったような感じです。

このnoteについても、今後どのような方向性で書いてゆけばいいのかが中々見えず、最近ようやく何となくわかってきた感があります。
当面は、「星読みを含んだこのnoteだから書きたいこと」が思い浮かんだときに、散文的なものを書いていこうかと思っています。
過去の記事も、より「今」にふさわしい形でリライトしていきたいなあとも思っているので、マガジンの場所が変わったり、もうふさわしくないと思った記事は消したりするかもしれません。一応あらかじめお伝えしておきますね。
そんな感じで、以前とは少し色の違うものになっていくかもしれませんが、よろしくして頂けたら幸いです。
あと、noteを書くときはまとまった時間が必要になるのですが、Twitterは思いついたら書けるなあということに気づき(今更ですね!)、Twitterはちょこちょこ更新するかもしれません。

また、個別のご相談として執筆していた『星からの手紙』は、少し前からお休みさせて頂いております。再開については、今のところ考えていない状況です。
たくさんのかけがえのない経験をさせていただいた手紙の執筆。ご依頼いただいた皆さまには本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございました。


さて、ここからは最近思ったこと、感じたことなどを書いていこうかなと思います。
風の時代がスタートするのとほぼ同じ年にスタートした昨今の世界的状況。
今年に入ってからは、大きな争いというさらなる事象が上乗せされているような状況ですが、個人的には、こういう時代において「何が正しいか」ということよりも、「何故このようなことが起きているのか」というのを俯瞰的に考えていきたいなと常々思っています。
すごーく離れたところから地球を見るような視点をイメージして、「なんで地球って今こんなことになっているんだろう」と考えるような感じです。
そうすると、やっぱり地球に住んでいる人たちの「何か」を「変化」させるためにこういう事象が起きているんだろうなと思うんですよね。
じゃあ何の変化が促されているのだろう・・・と疑問が浮かびます。

私が変化を促されていると感じたことのひとつは、「誰かが言ったから自分もそうする」というスタンスです。
風の時代は情報の時代とも言えますが、結局のところ情報を流しているのは人間なわけで、じゃあこの情報は誰が何のために発信しているのだろうという観点を持っていないと「ただ流されるだけ」になりかねません。

また、無数に流れて来る情報に対して「自分の心はどう反応しているのか」に耳を澄ませることも大切だなと思います。
人は自分と他人を比べたり、気にしたりしてしまいがちな生き物です。
「周りを思いやること」と、「周りに変に思われないように合わせる」ことや「周りに評価されるために行動する」ことは、似て非なるものです。
後者は、他人を軸にした行動であり、もしその行動が自分の心と相反するものであったなら、自分の心を無視していることになります。
自分の心を無視していると、次第に心を病んだり身体を病んだりするようになるのではないかと思います。

自分の心の声にまっすぐに耳を澄ませて、その声を裏切らないように生きること。
「自分軸で生きる」とは、そういうことだなあと最近よく感じるんです。
そして、自分の心に正直に生きながら、同時に周りに心をくばり気をくばることはできるんだなとも思っています。
自分に正直に生きる=我を通す、ということではないからです。

例えばりんごを描いたとき、私は赤で描き、隣の子は青で描いていたとして、「私はりんごを赤で描くのが好きだけど、あなたは青で描くのが好きなんだ。面白い!」といった感じで、互いの感性を認め合える関係性が私は楽しいなと感じます。
私は自分の心に従って赤いりんごを描いたし、隣の子も同じように心に従って青いりんごを描いただけのこと。
互いに自分に正直に生きているし、そして認め合っている。

ただ、そこに「りんごは赤でなくてはならない」という思考が入って来ると、争いになったりするんですよね。そういう状態がつまり、我を通すということなのかなと思います。

あるいは「りんごは赤である」という情報が声高に叫ばれていたりすると、「赤って言っているから赤で描かなきゃ」と流されてしまったりすることもあるでしょう。
さらに、その情報を鵜呑みにして、自分で考えることをせず、かつそうした情報を自分のアイデンティティの一部だと思い込んでしまったりすると、自分でそう感じたり考えたわけでもないのに「りんごは赤で描かなきゃいけないんだよ!」と隣の子を責めたりする。

『そういう時代はもう終わったので、次の階層にとっとと進んでください』って大きな何かに言われているような感覚がすごくあるんですよね。あくまで私が感じていることですけれども。

もうひとつ変化を促されているなあと個人的に感じたことは、「奪うことで豊かになること」です。
それぞれの土地や、それぞれの人に、それぞれの異なった豊かさや才能があるのに、それだけでは不安になって「隣のあれがあればもっと自分が豊かになるはずだ」と、奪うことで豊かになろうとする。
それって辛いですよね、どちらも。奪う方は「もっと奪わなければ」と際限がない焦燥感に追われるし、奪われる方は守ることに必死にならなくてはならない。
このような「隣の芝生は青い」的な構図は、実は私たちの社会を作っている大小さまざまなレベルにあるものだと思います。
スケールや形を変えて、人間の意識に存在しているものだと思うんですよね。
結局、自分の世界を育むことにフォーカスするのではなく、他者世界の豊かさにばかり目がいってしまうから、「奪わなければ」と思考が働いてしまうのだよなあと思います。

こんな感じで、なんとなく直感的に二つの問題提起があるんじゃないかなあと私は感じているわけですが、どちらにも共通して言える解は「他人軸に寄らず自分軸の世界を育むこと」なんじゃないかなと思っています。
自分の心に従って、楽しくて楽に過ごせるような世界を自分で創ること、というか。
そう、世界って自分で創るものなんですよね。
自分の心・・・魂に忠実に行動していくことで、自分の楽園が創られていく。
自分の楽園ができてきて、その楽園の地に足が着いていくと、とても楽で楽しいので、隣の他者世界に対しても「隣の芝生が青いから羨ましい」とか「あの青い芝生を奪ったら自分の世界は豊かになる」ではなくて、「あっちの芝生は私の色と違うなあ、面白そう」というスタンスでいられるようになるんじゃないかなあと思います。
そして、そういうスタンスを行動基準にしていると、同じようなムードに共鳴する「自分の楽園を持っている人たち」あるいは「自分の楽園を創りたいと潜在的に思っている人たち」が自然と集まって来るので、結果的に周囲に楽園的なエネルギーが広がっていくんじゃないかなあと。
そうすると、「自分の世界を創っている人」の輪が波紋のように広がって、クリエイティブなエネルギーが活性化するような気がするんですよね。そしてクリエイティブなエネルギーが地に足着いてどんどん物質化していくというか。

ちょっと抽象的でふわっとしているので個人的な具体例でいうと、私はものづくりが好きなので、これからはより創ることを楽しめるような環境に身を置いていたいなと思うようになりました。自分の人生の基盤も、ものづくりに関わることが楽にできるような環境にしていきたいなと思いながら行動するようになったと思います。
そうすると、自然とものづくりが好きな人と出会うことが多くなっていくし、そういう人たちと話すことはとても楽しいし、楽なんです。たぶん、私にとっての楽園はこういうことなんだろうなあって感じています。
ここで文章を書くのも私にとっては創作活動であり、自己表現のひとつと言えそうです。
今後は、ものづくりに没頭できる割合を増やしていくことが個人的な目標だったりします。つまり、人生の中での楽園の割合を増やしていこう、という感じです。

こんなふうに、人にはそれぞれの楽園の形がきっとあって、そこに近づけば近づくほど楽で楽しくなるのだろうなと思います。
そこに向かうための努力が必要なときもあるだろうけど、いつでも結局のところは「私、今自分の心に正直に行動しているかな」と自分の魂の中心にセンタリングすることが一番だし、それが百の努力よりも好結果を生んだりするんですよね。面白い事に。


きっと、皆それぞれにここ数年を通して感じてきたこと、考えてきたことがあるのだろうなと思います。そのすべてが、今後のその人の世界を創っていく礎になっていき、かつ周囲にも伝播していくのだろうなあと思うと、ひとつひとつのどのような事象にも、善悪などなく尊いものだなあと思います。そんな中で私は、自分事として今の世界をこういうふうにとらえて、行動しているよ~ということを書きたいなあとふと思ったので、久しぶりにnoteを開いたのでした。


風の時代に入ってから、宇宙視点から地球への「変われ変われ」コールが鳴り続けているように私は感じるのですが、宇宙が大きな一本の樹だとしたら、その枝葉の一端である地球に「そろそろ新芽の季節だよ」と発芽を促しているのかもしれませんね。
200年ごとに訪れる時代の変化・・・これって、200年ごとに一巡する季節のようにも思えるんです。
だから今は、風の時代の始まりの「芽吹きの春」が訪れているようなものなのかなあ、と。

それでは、素敵な五月をお過ごしください!
またnoteでお会いしましょう~!


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