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窓際の幸福

窓際の幸福

 今でこそその時間は取り戻せないが,席替えの度に窓際に当たらないかと期待しては落胆を繰り返してきた.窓際は本当にいいものである.風を感じられるし,外を眺めて何かを真剣に考える,フリをすることができる.高校時代にも1度窓際の席にいたことがある.方杖をついて外を眺めるおかげで右手がかなり痺れた.右利きの私にとって左側に窓があるのは,クラスメイトや先生の話をシャットアウトすることになるし,あまり良くない.

 小学5年生の時も,窓際の席を経験した.体育の授業を受けている弟を見つけて観察したり,(転けて怪我をしていても見て見ぬフリをして),風景を自由帳にスケッチしたり,楽しむには十分な場所であった.
 当時は2人1組で隣同士の机に向かい,お昼休みには4つの机を並べて,係の人が給食を運んでくれるのを待つ.半数の生徒が給食を取りに行き,先生は彼らに着いて行くので,いつも人でいっぱいの教室から人が減り,そこはとても独立した空間であったように思う.その時間の読書はとても心地よかった.
 ある日の給食の時間に,サラダと,別添えのドレッシングがあった.透明のフィルムに入った青じそドレッシングである.私の前に座っていた男子はふざけて,給食を全て配り終わるまでずっとそのドレッシングを振り続けていた.次に彼を見たときに,それの袋は弾けて放物線を描いて私の髪の毛に着地した.こんなことある訳あるか,いやそんなはずはない,いやそんなはずはあった.私の髪の毛は青じその匂いにまみれて,本当に本当に最低であった.あんなに学校の蛇口,冷たい水と格闘したことはない.窓際の幸福な思い出は青じその匂いに取って変わった.
プールの後で,ぼーっと国語の授業を受ける気持ち良さと,そこに付随するノスタルジーは幻想なのか?

 私は,自分の部屋の窓を愛している.朝日,夕日,たまに見える三日月,どれも綺麗で私を幸福な気持ちにさせてくれる.少し夜更かしをしようと意気込んで,遅くまで友人と電話をするためにベッドに持ち込んだハイボールも,私の窓際がテーブル代わりになってくれる.
YouTubeとNetflixで半日を潰した日曜日は,もうこんな時間であると知らせるために,夕日を送り込んでくる.

 窓際の幸福とは,自分のテリトリーを設けた安全地帯から,一見よく思える何かを覗き込んで,落ち着くフリを,感傷的になったフリを,することであるように思う.
反省すべきは,目の前に存在していた危険な男子に対して,窓を設置しなかったことかも?

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