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M-1GP2021のハライチに抱いた違和感の正体

M-1グランプリ2021のハライチに抱いた違和感の正体について、ハライチのターンや月曜the nightでの本人談から感じたことの備忘録。
お笑い赤ちゃんですのでもろもろ悪しからず。

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12月19日日曜日、M-1グランプリ2021がありました。
オズワルドやインディアンスなどの常連組から、真空ジェシカ、モグライダー、ランジャタイなど地下から這い上がってきた新進気鋭組まで出揃い、心が震えたのをいまだ鮮明に覚えています。

ただ、お笑い赤ちゃんの私にとっては敗者復活戦のメンツの方が馴染みがありました。
そして、今年のこのメンバーを見て初めて、知名度と勝率は比例しないという至極当前の事実を知りました。
去年決勝に進んだ人でさえ、テレビでたくさん見る人でさえ、簡単には勝ち上がれないのだという現実に圧倒されました。

だからこそ、ハライチが敗者復活枠で決勝に駒を進めた時は単純にすごいなと思いました。
歴代M-1における輝かしい成績と3年のブランクを背負って立つ晴れ舞台。
ネームバリューやラストイヤーの重圧をものともしない攻めの姿勢。
ギラギラに戦ってんな、かっこいいな、と感じました。
タイムオーバーについてざわざわしていましたが、ルール的には失格ではないらしいので私は戦略の一つという意味で是としています。

敗者復活戦でのネタは、すごく面白くて好きでした。
現に復活祈願投票もしました。
決勝でもこんなネタが見られるのかな、とわくわくしていました。
でも、決勝でのネタは、率直に言うとよく分かりませんでした。
最初に岩井さんが暴れ出した時は面白かったけど、ずっと同じことの繰り返しで「もうひと展開あればいいのに〜」と誰から目線で考えたりしてました。
やりたいネタってこれだったんだ、と少し拍子抜けたりもしました。
Twitterでも同じような人たちはいて、これなら〇〇が上がって欲しかったという意見もありました。

ここに、ハライチ(というか岩井さん)と私の、M-1に対する価値観の違いがあったのです。
私は、M-1は漫才師が漫才師としての名声を手に入れるための大会だとしか認識していませんでした。
「人生、変えてくれ」のキャッチコピー通り、名もなき芸人が一夜にして成功者になる場だと。
もちろん、そのつもりで挑んでいる芸人さんが大多数だと思います。
だから、間や言葉選び、細かい仕草などが調整された「賞レースで評価されるネタ」が揃いやすいし、私もそれが見たいし、それが披露されることを前提としている部分がありました。

でもハライチは違っていた。
やりたい漫才をみんなに見せたい。
ハライチとしての新しい形の漫才を発表する場にM-1を選んだ、ただそれだけだったのです。
「何のために出るの?」「デメリットしかなくない?」
とたくさん聞かれたそうですが、そうじゃないと。
優勝は狙うけど、本質はハライチを見せること。
目的が違えば当然魅せ方も違います。
だから、前述したような私の価値観では刺さらなくても不思議ではなかったのです。
同時に、岩井さんの「やりたいネタがあるので」という言葉、最初から最後まで貫かれていた意志に眩暈がしました。
めちゃくちゃかっこいいじゃないか。

今年のM-1は両手からもこぼれ落ちそうなほどいろんな収穫がありましたが、新しいM-1の捉え方を発見したことが一番大きかったかもしれません。
M-1から解放され、また新しいハライチの漫才を生み出せると声を弾ませる岩井さんとその漫才を支える万能澤部さん。
ときめきに溺れそうです。

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