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智恵子抄を読む。

私は智恵子抄が好きである。
昔からどこか精神的に安定しない私は、高校の時に智恵子抄に出会った。
母が、なんの会話の流れだったのか、あどけない話を教えてくれた。
それが智恵子と高村光太郎との出会いだった。

私は長野県の田舎。山に囲まれて育った。
青空文庫であどけない話を読み、「安達太良山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だといふ」という言葉が、文章が心に残った。
涙が出た。私もそうだと思った。長野県の片田舎から出たことはなかったのに、旅先の東京の閉塞的な空間を思って、私にとって本当の空は赤石山脈と共にあるのだと思った。校歌に歌われるような空が私の空なのだと思った。

その後、大学生になって智恵子抄を全て読んだ。
レモン哀歌も読んだ。智恵子が光太郎が最初に愛した智恵子にパキりと戻った瞬間があったと思うと良かったと思うと同時に苦しくなる。
智恵子抄は全体を通して、光太郎が智恵子を心から愛していること、智恵子が智恵子で無くなっていくことへの哀しみ、愛しさ、智恵子と共に過ごす幸せと苦しみ、哀しみ、なんか、そういうものが書かれていると思って、哀しくなる。
私も智恵子とは異なるけど、精神疾患を患っていて、愛着障害に近いものもあって、智恵子にとっての光太郎のような存在ができたらいいと思って、できるわけが無いと思って泣く。

明日もう一度智恵子抄を読む。

パートナーとどう生きていくべきなのか分からない。苦しめて苦しめてその先に何があるのだろうか。光太郎が病んだ智恵子と暮らした日々は幸せだったのか考える。

私は智恵子になりたい。
病になっても、生涯愛する人に愛されたいと思ってしまう。

苦しめたくない。

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