第二回シュル-レアリスム宣言

n-1の悟性が予期する平面において、シュル-レアリスム・オブジェクトとして外化、否定、反証可能な思想は実在の方法を一つも把捉し得ない。可能かつ否定すべき把捉とは、このパレルゴンにおいてベクトルを想像から象徴へ、象徴エフェクトの仮想思念体の彼方へと、脱構築そのものを放棄し、逃走線の帰路にn-1を盗むことである。であるならば、その思念体を実態エフェクトとして象徴の下へと、彼方へと否定するシステムが観想され得る。「大地震」なしに病として予期される啓蒙の、象徴界エフェクトへの転移に、この絶えざる転移をn-1はシュル-レアリスムと呼ぶのであろう。一般的に反復される悟性エフェクトとしてのそれを私は人工断面機械と呼ぶ。盗みは常に感性エフェクトの相の下に運命転移オブジェクトの帰路として否定されている。不在のnは、実像を象徴エフェクトの交換運動に観想すると予期されるのだが(n-1はそれを否定し盗む)、マトリクスが地震計のミメーシスとして、仮想思念体の把捉実態に願われたとしても、そのシステムは人工断面機械でしかないと否定される。近年のインスタレーションは想像エフェクトの移転、光子の《泉》システムに積み木のように反射たちを否定している。故に不在のnに第二回シュル-レアリスム宣言を盗み出し、地震計から小型圧力計へ、仮想思念体から象徴エフェクトへ、さらに光子の《泉》から病として予期された啓蒙へと憎悪される。放棄、帰路、この転移の予期に搬入する固有名をアーニャ・チミアキン、ガブリエル・ミュンター、ニーナ・アンドレーフスカヤとして分有するならば、その否定は陥入と予期されるまでもなく、転移としての憎悪によって『パラジット』の彼方として盗まれる。アーニャ・チミアキンはne trqvavaillez jamais、言うなればパレルゴンのスクリーンエフェクトから始まる予期を反証する。アーニャの彼方に仮想思念体は否定され、仮想思念体の彼方にアーニャは否定されるシステムである。まるで圧力計を願うエスのように。ガブリエル・ミュンターは、黙った感性エフェクトのエゴである啓蒙の病を否定、反証する。地震計を願うエゴである。逃走線は記憶の日からはアーニャとガブリエルの不在のnに帰路を予期しているのみであった。ニーナ・アンドレーフスカヤ、彼女は最後の盗み手、マラルメの舌とオイディプスの傷を盗む肯定の天使(スーパーエゴ)である。彼女は運命転移オブジェクトを願う最後である。

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