パソコンクラッシャー近藤

パソコンがぶっ壊れた。ぶっ壊れたって言ったら、ノートパソコンが折り目のところで真っ二つに割れて、キーボードが飛び散って、モニターにでっかく「 デ ッ ド 」って出たみたいだけど、全然そんなんじゃない。

あっフリーズした、って思って、フリーズした画面で色々試してみたもののウンともスンともせず、仕方なく電源ボタンを長押しして電源を切ったら、そのまま二度とつかなくなった。担当の人に診てもらったら、中がイッチャッテルからもう電源が入ることは無いと思います、とのことでござんす。あっけなかった。

僕の会社ではリモートワークが本格的に始まったら頃から(自宅でパソコンを常に起動状態にしていることが増えたからだと思うけど)会社のパソコンが突然壊れることが僕の周りでも多発していて、僕の同期のM氏(ますだこーすけ劇場)も例に漏れずパソコンをぶっ壊しており(彼は近所の公園でフリスビーみたくパソコンを投げて犬に取って来させる遊びをしていたから壊れたと俺は睨んでいる)、その時にふざけてメールの宛名を「パソコンクラッシャーますだおかだ様」にしていたからバチがあたったのかもしれない。

パソコンが壊れたことで書きかけの台本やら、作ったマガジンやらも、全部なにもかも消えてしまって、すごく悲しい。もし俺が突然何かの拍子に死んでしまって、そのあと何が残るだろう。台本も、短歌も、エッセイも、何もかも実体を持ってないから、そのままパソコンの最後みたいにぷっつり消えてしまうのかしら。

基本的に毎日、周りの邪魔を極力しないようしないように生きてる。電車でスマホを触る時、スマホを立てていたら盗撮している(かもしれないから嫌だな)と思われるのが怖くて、船みたいに寝かして使う。お店とかで知り合いが嫌いなアーティストの話をし始めた時に、もしかしたら近くにそのアーティストを心の糧にしている人がいたらどうしようとか、そんなことばっかり気にしてしまう。

その一方で、自分の言葉や感覚をシャボン玉みたいに周りに撒き散らかして、たくさんの人に知ってもらいたい、読んでもらいたい、笑かしたい、胸を打ちたい、嫉妬させたい、思い出してもらいたい、そんな気持ちが湧き上がってどうしようもない時もある。

もう書けへんわってなるまであと台本何本書けるかな。あと何首作って、手紙を出して、散文を投稿できるやろ。キーボードが耐えられずに弾けて、エンターキーも押せず、画面も見えず。

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