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最期に見るものがスマホでいいのか?

昨日、『マル日後にわかるホント』というテレビ番組を観ました。その中でお笑い芸人のやす子さんが、”100時間スマホなしで生活する”という実験をされていました。毎日9時間は触っているというやす子さんが、四苦八苦しながらも100時間以上触らずに頑張っていて、すごかったなぁ、と。

同時に、先月からずっとYouTubeを見ていない自分は、どこか上から目線の気持ちでいて。「いやいや、そんなスマホ触ることないでしょw」と思っていましたが。

誰が言うてんねん

自分も、思いっきりスマホ依存症でした。人のことをとやかく言えるレベルじゃねえ。OSのバージョンによっては、利用時間と使用したアプリの履歴が確認できるので、ぜひ一回は見てみてください。想像以上に触っていることに驚くと思います。

上述した通り、先月からYouTubeを(ほぼ)見ていません。友達からオススメされた24秒のショート動画を見たくらいで、それ以外は全く。一度もアプリを開かずに終わる日も増えてきました。

今までもこういった”YouTube断ち”をやってきましたが、登録していたチャンネルを全て削除したのは初めてで。また、最長でも2ヶ月くらいが限界なので、その記録を超えることを目標にしています。
しかし……ツラい。勝手に”禁断症状”と命名していますが、時おり脳裏に、おもしろかった動画の記憶がよぎるのです。あー、あれ面白かったよな。あれはあの辺がよくできてて……と思い出がよみがえり、見たいという気持ちが湧き起こります。最近ようやく減ってきましたが、断った直後は仕事の作業中ひっきりなしに起こっていたので、本当につらかった。勢いでアプリを起動して、いかんいかんと消去するのが、何度かありましたね。

そもそも、なぜYouTubeを断つのかという話ですが。拙note『YouTubeが無かった頃の生活ってどんな感じだったっけ』でも書いたように、YouTubeがそこまで当たり前じゃなかった頃を経験している身なので、その時の生活に戻ってみたい、というのがひとつ。
同時に、今年の元日に起こった能登半島地震が、とにかく強く印象に残っていまして。自分は全く関係ない場所の人間ですし、そもそも東日本大震災や熊本地震があったのに今更という感じでもあるのですが。「ああ、本当に生活ってあっけないんだ。本当に人間はいつでも死ぬんだ」というのが、ずっと心のどこかにあり続けてまして。
それに加えて、あの地震が起こったあとも、変わらずマウントやレスバが続くネットが、どうも嫌になってしまって。特に最近、やたら大人たちが口喧嘩で勝とうとしてません?大人が口喧嘩の勝ち負けで一喜一憂してるのが、正気なのか?と思えてなりません。論破することが個人の能力の証明とでもいうのか、そういうのが拠り所なのか、分かりませんが。論破したい、相手のダブスタを徹底的に追求したい、自分の方が賢いことをアピールしたい。そんな感じの人が、ずっとヤフーニュースやYouTubeのコメント欄でいろいろやらかしてるのが目につきますね。

われわれは、いつでも死にます。我々の生活は、本当に一瞬で消えます。それを元日からずっと、テレビやネットニュースを通じて、見てきているはずです。そんな中で、見ず知らずの他人に執着して、何になるんでしょう?レスバしてる最中に地震があったら最悪ですよ。自分の最期が、見も知らぬ人間との悪口合戦なんですから。

最期に見ているものが、本当にスマホでいいのか?

どうもこの問いが、頭から離れません。

まぁ、9時間スマホ触ってるやつが何言ってんだって話ですが。

自分はせめて、最期に見るものが親や友達や恋人でありたいなと思いつつ。いや、恋人いないんですけども。何か、抗いたいんですよね。ずっとスマホを触ってる自分に。いろいろとみじめな気持ちを抱いている自分に。
これからどうなっていくのかは分かりませんが、とりあえずスマホの利用を抑え気味にしつつ、やりたいことをしていきたいなと思います。