英文解釈演習室2022年10月号

【訳文】ペンネーム I am a cat.
※( )内はルビです。

 キャサリン・マンスフィールドは亡くなる前に書き遺しています。
「私の汽車は止まりました。いづれの驛(えき)からも離れた田苑(でんえん)地帶で汽車が止まつてしまふと、乘客はみな窻(まど)から身を乘りだして何事が起こつたのだらうと確かめるものです」
人生という旅にこれはつきもので、なぜかはわかりませんが、列車は決まって過去の来歴も将来の展望も見渡せない地点で止まってしまいます。その二つのせいで、この地点つまり「現在」には当てがないように見えるのです。けれども、まさにこの当てのなさを活かさなくてはなりません。車窓から外に目を向けてみましょう。はるか以前に見えていた水田や牧草地は、いつのまにかブドウやアーモンドの果樹園に変わりました。ここまで無事にたどり着いた――このことは旅を続ける理由としては十分すぎませんか。

【以下は、他の方々との検討会をした後の追記】
(A) 吾輩の考えるよい和訳の条件
(1) 英文を読んで読者が描く絵と和文を読んで描く絵がおなじ
(2) 和文だけを読んで意味が通じる(英文を参照せずとも理解できる)
(3) もしも著者が日本語話者だったらこう書きそうという文体

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上記の(1)に関して「in the open country」という英語、「なにもない」という日本語から、読み手がそれぞれどの写真をイメージするか?という問題(Twitter で募集いたしました)。「なにもない」からは上の写真(荒野、砂漠)をイメージされる方 "も" おられます。ところが、ここの「in the open country」は文脈から「人工的な建物も森もない」「ブドウやアーモンドの果樹園はみえる」と考えられるので、下の写真のイメージがいちばん近いと思われます。したがって、「なにもない」よりも「田園地帯」などの訳語がよりふさわしいと考えます。

(B) train は汽車、列車、電車?
検討会では「出だしの部分を映画のワンシーンのようにイメージして、それを日本語で表現する」という意見がでました。キャサリン・マンスフィールドは100年以上前の作家です(生年没年とも、芥川龍之介よりも数年前)。冒頭の引用部分を音や雰囲気もふくめて生き生きとイメージできるのは「汽車」。「列車」には強いイメージはなく、「電車」ではイメージをぶちこわしてしまうと考えます。

(C) between a past and a future
やはりここの不定冠詞 a は何か具体的なものを指していそうです。原文(Dear Friend, from My Life I Write to You in Your Life)で課題文よりも前の部分を読むと before after の広告の話が出てきます。a past =(捨ててきた)過去の自分、a future =(まだ実現していない)将来の自分、と読むこともできると思います。

(D1) nowhere と nowhere-ness それとも now-here-ness ?
たしかに this now を「今ここ now here」と読むことは可能です。しかし、課題文をよくみますと
making this now look as though it is nowhere
これは this now (= X) と nowhere (= Y) が別物であることを示しています。次の文の this nowhere-ness が X と Y いずれとおなじか? あきらかに Y を名詞化したものですから、 this now-here-ness と X を指すことはできません。つまりここの言葉遊びは nowhere → now here ではなく、まったく逆に now here → nowhere であると考えます。

(D2) では nowhere と nowhere-ness の意味は?
原文で課題文よりも前の部分を読むと、empty / emptiness, nothing / nothingness という表現があります。おそらく nowhere / nowhere-ness はこれらの言い換えであり、「今ここ」のニュアンスはないでしょう。したがって、「(捨て去った)過去の自分でも(理想とする)将来の自分でもない → どこにも(or いずれにも)属しておらず無(or 空っぽ)である状態」と解釈できます。
また、あきらかに列車も線路も風景(ブドウやアーモンドの果樹園)も存在しているわけですから、「(過去と未来のせいで)どこにも "存在しない" 」は不適切だと考えます。「(過去や未来と切り離されていて)どこかわからない」はあり得るでしょう。
※さらに追記
したがって、「舞台(ステージ)」にも「未知」にも訳語として違和感があります。なぜなら、emptiness (nothingness) には、はっきりとした形(足場)はありませんが、舞台ならばふつうしっかりと足場はあるからです。また、未来だって「未知」です。現在と未来とを、もっとはっきり区別できる訳語にするべきでしょう。

(E) みせかけの has to か?
has to make use of this nowhere-ness か、has this nowhere-ness to make use of か? 上の nowhere-ness = emptiness の解釈が正しいとすれば、後者では意味不明だと思います(now-here-ness と読むならあり得ます)。
※検討会でみなさんにたずねてみましたが、出席者には「みせかけ派」の方はおられませんでした。

(F) 主語 One の扱い方、再考
「人は~」は△、主語を訳さないのが○と考えます。
なぜか? 著者の講演やインタビューで以下のように語っています。いわく、著者は中国語が第一言語→中国語では「私」をあまり主語にせず、主語なしがふつう。主語を使うとしても「私たち」と言いたくなる → 英語で I を使うのに大きな抵抗がある → We を使うのも変 → One を使えばいいんだ(ただし、英語話者には妙だと言われる)→少しずつ I も使えるようになってきた。
また「水田が “時間の経過により” ブドウ園に変化する」はあり得ません。なぜなら、稲は雨の多い気候を好み、ブドウは乾燥した気候を好むからです。したがって、水田からブドウ園への変化は時間だけではなく、”場所の移動” も象徴しています。つまり、One には一般の人だけではなく、著者自身が中国からアメリカ(西海岸)へ渡ってきたこと “も” 象徴的に含まれている、と考えます。

(G) 文体
「もしも著者が日本語話者だったらこう書きそうという文体」「著者や登場人物の声がきこえてきそうな文体」で書きたいです。したがって、個猫的には、キャサリン・マンスフィールドからの引用部分も地の文もふくめて、男性が書いたとしか思えない文体では書きたくありません。

(H) 何も足さない、何も引かない
「英文を読んで読者が描く絵と和文を読んで描く絵がおなじ」には、「何も足さない、何も引かない」もふくまれます。じっさい、柴田元幸先生も鴻巣友季子先生も越前敏弥先生も原文に忠実に訳されています。それどころかプロの翻訳家(翻訳者)は、少しでも原文に近づけようとつねに努力されているという印象です。文芸作品だからといって根拠なしに空想で訳す(超訳する!?)のではなく、吾輩はどんな課題文であっても、根拠のある訳を書きたいです。

(以上が追記部分です)

【訳文提出前に考えたこと】
※今回も原則は「過不足なく」「何も足さない・何も引かない」「筆者が日本語話者だったら、こう書くだろう」です。英文に書いていないことについて、あまりに想像を広げるのはやりすぎと考えます。
※課題文以外の情報(背景知識など)を活用すべきかどうか? 吾輩は「すべき」と考えています。
※みなさまの答案を拝見したあとに、補足や訂正をする可能性があります。

(a) head は、頭? それとも...?
和訳をするためには、英文を読んで頭の中に絵を描く(イメージする)ことが最大のポイントだと言われます。ここは『この英語、訳せない!――headは頭?顔?首?』(p. 28~)も参考に、"put one's head out of the window" で画像検索をしてみました。

画像1

※head は「首から上の部分すべてをふくむ」

(b) between a past and a future
「過去と未来の間」でよいでしょうか?
(1) between は2行目との対応を考える必要があります。2行目の between two stations は、両者の “間” ならどこでもいいわけではなく、近くに駅が見えない、どちらの駅からもある程度 “離れている” 地点のはず。
(2) もしも「過去と未来」だったら、”the” past and “the” future です。『受験英語をバージョンアップする』(p. 123 〜)にあるように、a がつく名詞(可算名詞)には「有界性」つまり、はっきりとした境界があります。はたして「過去」や「未来」に、”はっきりとした境界” があるでしょうか?
つまり、「過去の歴史・経歴」も「前途・将来の見通し」も見えない地点(時点)ということでしょう。

(c) this now(← now はイタリック)
「この現在」と訳しただけでは、何を指すのか不明確です。かりに何か補うとしたらこの部分でしょう。課題文は「地理的な列車の旅」と「時間的な人生の旅」を重ねあわせています。this now は場所(この地点)でもあり、時間(この時点=現在)という二重の意味があります。

(d) nowhere と nowhere-ness
nowhere
(副)どこにも~ない
(名)実在しない場所、どこか分からない所
でよいでしょうか?
-ness は「形容詞」のあとについて「名詞化」しますので、nowhere の品詞は形容詞のはずです。したがって、
(形)無駄な、無意味な
こちらの意味を軸に検討しました。

(e) 主語 One の扱い方
「人は~」は△、主語を訳さないのが○と考えます。
※根拠は課題文中にはなくて、著者の講演やインタビューです。時間のあるときに補足する予定です。

(f) perhaps 
『シャーロック・ホームズで学ぶ英文法』(p. 91)を参考に、「おそらく~だろう」などではなく、緩い疑問文で訳してみました。

(g) タイトル Dear Friend, From My Life I Write to You in Your Life の意味
もとはキャサリン・マンスフィールドの文章のタイトルです。I は作者、You は読者で、「作者から読者へ」というような意味でしょう。
したがって、
(1) 自殺未遂から二度の入院など人生の苦しい時期に、キャサリン・マンスフィールド(私=作者)からのメッセージがイーユン・リー(あなた=読者)に刺さった。それでイーユン・リーは救われた。
(2) 今度はイーユン・リーが〈私=作者〉となり、まだ見ぬ〈あなた=読者〉へ向けて、これを書いている。
という、リレー・メッセージだと思います。

【参考資料】
課題文の原本(Kindle Edition)
Dear Friend, from My Life I Write to You in Your Life
https://www.amazon.co.jp/-/en/Yiyun-Li-ebook/dp/B01FC01K8I/

イーユン・リーの講演(公開インタビュー)
https://youtu.be/BRN81NXBFSA
※他にもいくつか講演やインタビューを見てみました。

翻訳フォーラム・シンポジウム「翻訳と絵・序論」深井裕美子
https://youtu.be/dLSB8AuxjRU

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