『フォンダンショコラ』#214

通し番号から引いた記憶のくじ。チョコレートやクッキーを代表格としつつ、二番人気っぽく存在感が強めなのがフォンダンショコラ。バレンタインデーの話。
鈍く黒く光る、隕石のような火山の噴石のような肌理をもった、ケーキというには華やかさに欠く、しかし中身と味を勘案すればまず菓子として認めぬこと能わざる、カカオの焼き菓子。チョコレートの焼き菓子というには、あのブロック、あるいは成型板のような硬質な印象から程遠く、原料にまで遡及しなければ語りえないような気がしてここは、カカオのとさせていただく。
自分自身はいちども作ったことがない。ブラウニーと一緒で消費者、おいしくいただく側にしかいない。だから作ることに関する記述はおおよそ食から想像で還元していった断片となる。フォンダンショコラの命と言ってもいい、いや、命とするべきところは2点あるので肉体と精神とでも言ってみようか、あのカカオ香ばしく焼きあがってサクッとした表面と、トロリと濃厚なチョコレート(ここはこう言わざるを得ない)が流れ来る中心の部分、これらを十全に相伴って成立させるには一筋縄でいかぬ的確な火加減が必要となるのだろう。もしかしたら唐揚げの二度揚げのような、二段階工程を経るのかもしれない。むしろそうであると考える方が自然だ。主には厚い外皮をもつ肉体と内部のやわな精神とでできている。この表現に早くも挫折しそうだがまだこのまま進んでみる。外皮の外側数ミリはちょっとやそっとの当たりにはまったく屈しない硬さで、フォークとナイフをのみ許すような頑強さをもち、その硬い最外殻より内には色こそ違いはないがしっとりとしてじんわり味の広がる厚い中層がある。この最外殻と中層がフォンダンショコラの肉体を成す。これを仕上げることだけ考えても、中まで火を通すことと最外殻を硬く仕上げることとは火の加減が変わるであろうと推察される。そこでさらに驚かされるのがその中に秘められる精神のやわさだ。ナイフを入れてパカリと開いてみれば溶け出すそれは、形を成すことができないまま幼く成熟しきらなかった初さを見せる。全てが合わさって口に入るや、甘苦く香ばしい外側と、濃く甘やかで舌に絡む内側とが贅沢な気持ちにさせてくれる。
そんなことを思いながら書いているとだんだん、その両面性をもった食べ物が、成長過程にある中高生時分に人気を博すことに、なんとなくだけど「わかるわー」って気持ちになる。溶かして固め直してデコレーションしたチョコレートも可愛いのだけれど、それより手の込んだ感があってなおかつ美味しく複雑な食べ物に作り手も貰い手も心を惹かれるのは自然なことではありますまいか。

#フォンダンショコラ #180720

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