『の(格助詞)』#109

数字の9を左に90度回転させると、ひらがなの「の」。
ひらがな、の、の。連体修飾語、の、「の」。あっというまにゲシュタルト崩壊する。集合というほどのパーツもなく一筆書きできる一本の曲線でできているというのに。
たまに書きたくなるのが、助詞について。新聞にしろニュース番組にしろネット記事にしろTwitterやInstagramの投稿にしろ、いろんな内容のいろんなスタイルの文章を目にするなかで気になることのひとつが助詞の使い方についてだ。前に書いたnoteでもその点には触れた。いちばん初めには格助詞の「が」についてだったか。そのときに比較対象になったのが、格助詞の「の」だったっけ、どうだったっけ。で、確認した。「の」じゃなくて、「を」だった。寿司が食べたい、のか、寿司を食べたい、のか。で、sushi tabe tai、なのか。そのときは“日本語の乱れ”に憂う心で書いた。何様。
今回は、ほぼ、連体修飾語の「の」について。これを書こうと思ったのは、数日前。っと、「書こうと思ったのは」、「思ったのは」、「のは」、この「の」は体言の代用の「の」ですね。「これを書こうと思ったのは、数日前」、この文章における「日」を「の」って代用したわけだ、「これを書こうと思った日は、数日前」と。反復を避けるための、の。
利用頻度の高い助詞がこの「の」なのだよな。そう、ここでは「利用頻度の高い」という部分の主語である「利用頻度」を主格の「が」でなく「の」で繋いだ。「利用頻度が高い助詞がこの」と、がを連続してしまうのを避けるために「の」を部分的な主語に利用した。まったく有能。
『俺の塩』このカップ焼きそばでもって、大学入学当時にある友人とやたらと盛り上がったころがあった。まだ授業も決まらずシラバスを眺めてあちこち聴講にいくころ。昼飯の時間に、毎回食堂で食べる金銭的余裕が、ないわけではないが、安く済まそうと思ったときによく食べたのがカップ焼きそばで、そして売店に必ずあったのが、一平ちゃんとペヤングと、俺の塩だった。ちなみに「売店に必ずあったのが」は、「売店に必ずあったカップ焼きそばが」へと「の」から復元できるな。で、だ。毎回のように買ううち、そのある友人と、ふと「俺の塩、いいよね」と話し始めたら止まらなくなったのだ。味は、まぁまぁ、香辛料っぽさと塩気がグッド。油っぽくもないし、ソースと違って跳ねることを気にしなくていい。小袋はかやくと粉末スープで、後入れは粉末スープだけなので食べるまでの手順、めんどくささは少ない。そして、俺の塩の強みは湯切りにあって、湯切りというか、待ち時間。お湯を入れてからわずか1分。わずか1分の待ち時間で、湯切りをしてしまってよいのだ。カップヌードルの3分、うどん系の5分、そんな待ち時間は要らない、お湯を入れて1分で湯切りをして蓋を剥がして粉末ソースを混ぜるのみ。2分ほどで出来上がる。そこだ。そこでたいへん盛り上がった。いや、うまいよな、って話題も勿論だったが、若者の胃袋にはスピードが大事なのだ。あのころ、新製品でたらこ味があった。たらこと、刻み海苔。いまもあるが、あれもうまい。
千文字くらいのボリュームで、俺の塩が語り尽くせるか、それは無理だ。そもそも今回の話題は俺の塩ではなくて、格助詞の「の」なのだ。
俺の塩はまたの機会に譲るのがいいだろう。最後に「の」を連体修飾語と体言代用の複合で使って締める。

#の #180406

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