『エビアン』#226

飲み水について最初に書くとしたら、いろはすかなと思った時期があった。それには大した理由もなく、飲み心地とパッケージデザインが好きだからだというだけのことで。かつて伊右衛門について書いたことがあった気がする(あった。#92だ、そしてそれを調べたときに一緒に、過去にミネラルウォーターについて書いたときがあった#106で。)けれど、パッケージデザインによって味よりも優先して購買へ結びつく場合があると知ってて、ミネラルウォーターなら断然いろはすなんだけど、ときどき、ときどき駅の自動販売機になくてしかも頭痛くなるくらいアルコール回っているとき、仕方なしにエビアンを買うことがある。
その、仕方なしのエビアンをまた今日飲んだことで8月の一本目の文章に相成るわけです。
硬水は一般に言われるように、重い。ほんとおもしろいと思うんだ、パッと見ても透き通った水であって大部分がH2Oであるにもかかわらず比重もおよそ1.0で差もなく500mlならば500gであるにもかかわらず、重い。口に含んだときには別に、重みとは違う、にぶい味、不思議なとろみのような、ゲル感のある舌触りで、それからごくっと飲んだあと、胃にたぷんと入ったときに感じるのが重み。ファミマでは最近、プライベートブランドで軟水と硬水を置いてて飲み比べも容易になってるけれどその硬水はまぁ確かに重みはわかるけれどエビアンはそれとはひと味もふた味も違う。とにかく水を、塊を、飲むような感覚。だからこそ、私は酔ってるときに飲んでしまう。鋭敏なようでまったく鈍感な知覚に対して、水を塊として飲む、変な趣向。冷えて、さらっと飲みやすい軽い水を、お冷を、飲めばいいのに。駅でお冷は注文できないのでそれは例えの話で、俺もやれと言われりゃ駅員さんに頼んで、は、みない。いいんですよ。エビアンが。10回に9回は、いろはすを飲む。量も多いし軽いし、重力的にもペットボトルが軽くて、物理的にもペットボトルが柔らかいし、基本的にはそっちなんだ、なんだけど、稀にあるエビアンのとき、わたしはゆっくりと一口ずつ、口に含み、回数を、時間を分けて飲み進めていく。
瞬間の概念の話、人間が知覚できる「静止」の時間は18分の1秒で、カタツムリは4分の1秒であるらしい。エビアンを飲むときのわたしは5分の1秒くらいで世界がコマ送りに見えてくるような気がしてる。たぶんそれは酔ってるんだろう、と自分でもそう思うけど、ほんとにそんな感覚なのだ。水を飲む、その時間だけ、世界の側のスピードが落ちる。決していまこうして文章を打ち込んでいる私はアルコールを分解しきったあとで酔ってはいないしソファに深々と背中をつけるぐらいに座って足を組んでだらけているが見える世界はきちんと18分の1秒ごとにコマが送られていて正常。
エビアンはもしかしたら、白乾児なのかもしれない。

#エビアン #180801

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