『蒸す』#207

高い温度、高い湿度の空気で熱を加えて蒸し上げる。ふんわりもっちりとした焼売や肉まん、みずみずしく色鮮やかでやわらかな蒸し野菜、調理において多少手間のかかる料理方法だが得られる食体験は格別。
ただし気候、お前は別だ。そう断じたくなる季節がやってきて夏本番はまだ先だと思っていたのに海の日を迎えるより早くつま先から頭のてっぺんまでびしょ濡れである。まったくの比喩ではなく、家の中にいてじっとしていても背中や首筋、膝裏から湿ってくるし、外を歩いていれば額を伝う汗を拭ったそばから耳の裏に流れを感じ、背中はもう考えるまでもなく全面的に張り付いたシャツがただ蒸発を待つ。靴下はもう五本指靴下以外を履くことができない。もし従来型のオールインワン靴下を履いたならば2日で水虫になる(水虫経験があるのでリスクと兆候は身を以って知っている)。仕事の後の靴内・靴下は恐ろしいまでに蒸気を抱えている。
ただ、だ。最近の酷暑が、近年どんどんと拍車をかけて深刻化しているのは認識している通りだが、梅雨ってもっとジメジメとしていたよなぁと思わなくもない、その点だけ、その、梅雨はいくらか涼しげで過去の記憶よりまだマシ、というノット・サウナ感を抱く。いつが酷かったろうか、そう思い出そうとしてもいつだったかは思い出せない。それは屋外ではなくて、屋内だった気がする、あ、だんだん記憶が蘇ってきた、それは梅雨とは関係なかったかもしれない、ただ、雨の降る真夏だったかもしれない、いややっぱり梅雨だったかな、とにかく、大学に向かう電車の中、朝の上りの東海道線と横須賀線の車内の記憶、雨降りで濡れた傘と人の衣服とで電車内が猛烈に雨と湿気のにおいで充たされていた光景だ。あれこそ、蒸し風呂と言って差し支えないだろう。人間の熱で車内温度は上がり、傘と衣服と肌の蒸散とで湿度も上がり、一方で冷房で一時的に冷やされていたドアの表面はびっしりと結露水で覆われてまるで鳥肌のようでこちらの肌を刺激する。人の肌に触れるがマシか、手の指先だけでドアを押して空隙を作るのがマシか、悩んだところで押し込まれる車内では選択権が無い。
基本的に、気候に関して「蒸す」ことはいいことではない。それは夏では当然だし、冬において外気が蒸すことはまずないけれど、気候でなければスキー靴の中の靴下はもう恐ろしい。またゲレンデでわりと密閉性の高いゴンドラにぎゅう詰めに乗るときもわりときつい。
いま、ポジティブな蒸し物を考えているがいかんせんうまくいかない。あるとすればそれは茶碗蒸し、ひんやり冷やして食べる味わいはいま至高の一品だろう。到来を待つ。

#蒸す #180713

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