『倍数』#124

中学の数学で習った概念、ある数Aを整数倍した数Bのことを「ある数Aの倍数である」と言う、そしてこの場合においてある数Aは「ある数Bの約数である」と言う。2の倍数は、4であり8であり256でもあり-256でもあるし、無限に存在する。4の約数は1であり2であり4でありそんな、倍数と約数という概念があって、まず倍数を先に習った。そうなのだが、これまで生きてきたなかで、生活してきたなかで、どちらをより多く使ったかといえば、申し訳なさすら感じるように、約数の方なのである。いや、もう少し焦点を絞ってみると約数は約数でも、そのうちの一点、最大公約数という言葉が最頻ワードで最も、口語的利用をされる、とでもいうのか、生活感があるとでもいおうか、言うなれば、使い勝手がいい。
最大公約数。
僕の二歩は君の三歩、僕の四歩は君の六歩。そんなふうに、歌う歌があってそれはRADWIMPSの「最大公約数」という曲。われわれ世代の高校時代にはたいへん、たいへんよく聞いたアーティストの1つだろう、RADWIMPS。いまも人気は高いけれどあの頃のカルト的人気ったら、それはそれは。そして、あのころにちょうど歌っていたのはその最大公約数が収録されたアルバム「RADWIMPS 3 無人島に持って行き忘れた一枚」と「RADWIMPS 4 おかずのごはん」だったんじゃなかったかな。で、だ。最大公約数の歌詞には、サビで「何を与えるでもなく、無理に寄り添うわけでもなく、つまりは探しにいこう、2人の最大公約数を」と「何を求めるでもなく、無理に意味を添えるでもなく、つまりは探しに行こう、2人の最大公約数を」と、ある。あまり、私自身は音楽において歌詞って大事にできなくて、全てを音として、メロディーとサウンドとして拾ってしまうのだけれどこの曲は、歌詞を言葉として頂戴する曲の1つで、なんというか「2人の相乗効果、的に言うような、公倍数じゃねぇんだ」みたいな驚きと喜びが混じった感情を得た。別に、相乗効果として倍数を倍々で高めていくのだってそれはそれとして価値観だ。というか、倍数的相乗効果と、公約数的折衷関係とで、人間2人についてどっちも考えられる。けれど、2人で求めるものは、っていったら、2人の公約数であって、そのなかで語感的にも抜群にグッとくる最大公約数が、ほしいんだ、っと。曲の終盤で、ラストスパートの手前(そこはなんていう部分なんだろうな)の歌詞は、「僕は僕で、君は君、その間には無限に、あるはずだよ、2人だけの、公約数」とある。もう脳が弾ける。
その最大公約数が見つかったとして、その数に、また別の何かを掛け合わせたときには、なんか、すごい倍数が立ち上がるんじゃないかって、思えてくる。思えてこないか。2人の最大公約数を元にした倍数は、2人のエッセンスを増幅させたような、とても未来的で空想的な、それはもしかしたら子どものようなものなのではないかと。
一方、ほんと別方向の一方で、企画会議や部門会議なんかで「これらの案の、最大公約数的な部分を」と落とし所を表現することもあって、それはトークイベントなんかでも聞くことがある、共通認識のなかで特に大事なところ、それを表現する言葉として、耳にする。
いま生活しているなかでいろんな惑い事があふれていて、容れ物としての脳には収まりきらなくてパンパンになっていて、でもたくさんあるうちの自分にとって捨てたり壊したりしてはならない事を、分解して取り出しておきたいなと思うのだよ、というのが今回のお話。増幅させるのはそれからだ。

#倍数 #180421

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