『ワード』#193

前2つの表計算ソフトと紙芝居ソフトについては他のアプリケーションへ移行することなく多少の浮気こそあれファーストチョイスにガッチリ固定されているのに対し、ワードプロセッサ・文章書きのソフトは用途によりけりといった感じでワードの地位は抜きん出て高いこともなく、多くのソフトの中の1つ、つまり使用優先度も頻度も高くないことを白状せねばなるまい。
なにせこうしてほぼ毎日書く千文字くらいの文章はiPhoneのEvernoteだし、大学のレポート課題でもパソコンのEvernoteを使って書いて最終的に出力する直前の用紙レイアウトにだけワードを用い、レポート作成や論文ではAdobeのindesignを使ったし下手したらA4で文章だけで1枚だとしてもillustraterをって時も練習兼ねてやってた記憶がある。出番が「用紙出力」と「データ提出の拡張子あわせ」なぐらいだ。本質的、って言葉は最近パワーワードすぎて嫌だけど今回適当だから使ってしまうけれど、本質として“文章を書く”アプリケーションとしては選択肢が多くどれも多彩なのだ。
まず初めに使っていた「文書書き」ソフトはワードだった。これは間違いない。自分用のノートパソコンのOSはWindowsで、標準搭載されていた。いっちばん初めは一太郎スマイルとかだったと思うけどそれは昔すぎていまに繋がっていないので割愛。ノートパソコンで文書を書くといえば、大学のレポート課題。A4用紙に何文字程度、と指定があったから尚更、用紙管理も文字数カウントも一目でわかり、フォントや文字組みもいじれたから十分だった。そんな文書書きに変革をもたらしたのは、AdobeのIllustratorだった。そもそも設計課題と将来的なデジタル利用にもと、練習でIllustratorをちょくちょくいじるようになって、カッコつけの気持ち半分、ソフト慣れ目的半分でレポートをもIllustratorで作成するようにした。そうしてワードが「文書書き」から疎外されていった。Illustratorのレポート作成はしばらく続いて、パソコンを買い換えてWin機からMacに変えたのちもいくらか続いたように思う。そのうち「適材適所」と「道具のミニマル志向」が自分のなかで根付いていってそれは今にも変わらず強くある志向性で、Illustratorは「グラフィック作成」のツールであって文書書きのソフトではないという気持ちとあとは起動が遅いことでじわじわとめんどくさくなっていったことが背景にあり、ワード復活のチャンスがあったのだがそこでバンとワードの前に立ちはだかったのがEvernoteだった。フリーのソフトで文書が書けて、そのころ持ち始めたスマホでもアカウント共有して書けるとあって、そっちに流れた。そして、何よりワードを使うことがなかった理由は、そのとき使っていたMBPにMicrosoft Officeのソフトを入れてなかったことによる「そもそも持ってない」問題があった。大学生にとってソフトを買うのってコストと必要性をかける天秤は偏りがあってなかなか購入側へ動かない。文書書きならEvernoteでいい。それにさらにミニマルというか「軽いソフト」としてテキストエディタがあった。データの容量がとにかく軽い。じゅうぶんだった。
大学院に入ってからOfficeを入れて、それからはEvernoteで若干不便を味わう「用紙レイアウト」と「データ提出の.doc指定」に対応するときにワードを起動する。
こうして「文書最終提出用ソフト」の位置付けで固い。いまのところ。

#ワード #180629

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