『着る』#146

暑くなってきて着るものも変わってきた。着る枚数が減って、そもそも腰から下は夏でも冬でも2枚だけれど、上は3枚か4枚着ていた冬からこの初夏にはもう2枚に変わっている。そしてここから真夏にかけても基本的には減りもせず、増えもしない。基本的には肌着を着て、Tシャツやカットソー、襟シャツ(ワイシャツのような襟のついたシャツを、私は襟シャツと呼ぶ。ただのシャツだとTシャツも含んでしまいそうで、あくまで別物として、しかしワイシャツというほどかっちりしていない襟つきのも含めて、である)などを着る。
1枚で済ませない理由はいくつかある。まずは、自分がたいへんに汗かきであること、そして主に脇と背中に凄まじい量の汗をかくこと、これが、理由のパーセンテージで50を占める。見た目の問題。まずTシャツで、白はまだしも色つきのものはほぼ確実に濡れると変色する、色が濃くなって、「あ、濡れてる」とわかる。脇と背中が、じわじわと、白菜の芽がグングンと育つように濡れていく。恥ずかしい。襟シャツにしてもそうで、特に化学繊維のワイシャツで起こる現象なのだが、トラウマ的に見苦しい姿である、生地が水を吸いきって「ワイシャツが肌にペタッと貼り付いて地肌が透けて見える」あの姿、高校の頃とかは「暑い」「ダサい」からといって肌着を着ないでワイシャツ1枚で、ボタンを1つや2つ外して着ていた。自分の背中に張り付くのもわかるし、他人の背中に張り付いているワイシャツと透ける肌色を見ていると「これまたダサいな」と思うようになった。思うようになってどうしたかって、肌着を着るのは若い心が許さなかったのか、歩きながらワイシャツを懸命にパタパタとして空気を循環させて暑さを和らげつつ、背中にタオルを突っ込んで汗を吸わせ、そして自分でもバカバカしいと思いつついまにも生きる知恵なのだが「心を平穏にする」ことで脳に「涼しげ」な心象を伝達するライフハックを実践していた。夏の時期に恋人と登下校することがなくて本当に良かった。そのような見た目に加えて、1枚で着ない理由は、一言で言いづらいが汗と連関して「触感」にある。ワイシャツで顕著だったが、汗を吸いきった衣類は肌に触れる触感がベタついたりペタッとしたり重たげに感じたりと、とにかく不快で、それが他人からも見えて良くない。不快さが表に現れてダサく、ダサい身なりが心にまた不快をもたらす負のループ。とはいえ、肌に触れる衣類が汗を吸うのは、肌着だろうが何だろうが、1枚めの衣服の宿命である。ただ、最外殻がどう見えるか、という観点である。それに、肌着はテクノロジーの進化のおかげで汗を吸っても乾きが良かったり肌触りが悪くならないものもあるので、肌着に汗を吸わせる方がまだ、いい。それに衣類のコストを考えれば、汗を吸わせるなら価格安く量を持てる肌着一択。
そして、1枚で着ない残りの理由は、夏でも襟のついたシャツを着たい、というところにある。Tシャツやカットソーは控えめにして、襟シャツ。背が低くて童顔で胴長なこともありプロポーションのレベルがかなり低い。Tシャツを、どうやっても「シンプル」で「こなれた」感じにできない。歳相応のTシャツ&タイトなパンツスタイルが叶わない。所ジョージがTシャツとジーパンでかっこよく見えるあの感じが、心底羨ましいし憧れる。歳とったらあれをできるのだろうかと、遠い遠い未来に来世を巻き込んで想う。
『着る』という抽象的で汎用性の高い言葉を取り上げておきながら書いたことは夏の私の鬱憤ばかり。最近の気温とそれに、最近読んでる鷲田清一さんの『ちぐはぐな身体』がぐんぐん面白くなってきたことから決めたというのに。

#着る #180513

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