『カブトムシ』#216

「好きな昆虫はカブトムシ」と言える男の子が、あのころ羨ましかったし何よりすごいと思った。そして、あのころ「好きな昆虫はカブトムシ」と言う男の子が周りにいたのかもわからないし、「好きな昆虫は?」と訊いたこともなかった。
“ど真ん中の男の子像”そんなイメージは、カブトムシとそれに戦隊モノのレッドを憧れる男の子として表象された。でも、そんな男の子はいるのだろうか、というのがあのころ、それは幼稚園から小学六年生くらいまでの10年弱で思い続けてきたことだった。そういう意味では、人と違うってことに対する自我?自己確立の欲求?他者との嗜好の差別化?それがいくらか強かったのかなと想像する。川崎の、森なんかない住宅街で育ったことも相まっているのか、加えて一方で父方の実家はハンパない田舎の集落でそこではカブトムシが確実にいそうな気配を出していたことが重なっているのか、とにかく「カブトムシよりもクワガタ」とか「カブトムシというか昆虫に興味がない」とか、サイレントマジョリティーを変に自分だけで秩序立ててそれに支配されることを避けていた。変なオルタナティブ路線。
戦隊モノならグリーンとか、イエローとか。ナンバーワンがレッドで、ナンバーツーもなんとなくブルーが醸し出していて、そこの順列は決まっていた。それに途中から現れるブラックとかホワイトは話が進むうちいつの間にかナンバーツーかあるいはパラレルなナンバーワンになっていて、そこを好きというのも憚られた。
序列から自由でいたい。
そういうことなのかもしれない。
だから勉強もスポーツも中流でいい、とはならなかったのが自分の変なところだ。「好み」と「やれるかやれないか=力」については別だった。やれることならやれるだけやると。
いつからかカブトムシには海外のもっとでかい種類、コーカサスオオカブトやヘラクレスオオカブトなんかがいると知って、「あぁカブトムシがナンバーワンではなかったのか」と、視線が和らいだこともあったけれどそれも束の間、根付いた潜在意識は恐ろしいもので、「カブトムシは結局のところ、日本男子にとって、日本の昆虫界においては結局“頂点の人気を持つ(と設定されている)もの”」という認識が定着していた。一番人気を好きだと言うことが恥ずかしい、とする変な心持ち。論文ありそうだなぁ。
そういえば大学生の頃、AKB48で誰が好みかって話では前田敦子でもなく大島優子でもなく篠田麻里子と答えていた。それは反発心でもなく素直な気持ちだったが。カブトムシでもクワガタでもなく、アゲハチョウがいいと言った。

#カブトムシ #180722

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