『気流』#268
空気の流れ、風と言い表すのとは違って、特に目にする機会は天気予報、それとエアコンのカタログ。どんよりと雲がかかる夜空を見上げながら今年の激しい台風を思い出して渦巻く上昇気流が生み出す台風の目を脳裏に浮かべる。瞼の裏は大気圏。
少しだけ、意味を調べてみた。気流について、ウィキペディアでは気流のうち水平方向のものを風、鉛直上方向のものを上昇気流、鉛直下方向のものを下降気流としてトピックを分けているそうだ。つまり単語としての気流は、あっちやこっちやに流れる空気を総括したものだ、上へも下へも横にでも。
だから気象用語としては、全てを風と言い表して「上向きの風」とは言わない。口語ではそのへんで「吹き上げる風」とか「山から降りてくる風」と言っても差し支えないのだろう、ただ、公共放送ではそうは言わないのだろう、その姿勢に私も乗っかっていこう。
ちなみに今回の話は最終的に我が家の気流事情で終わる。
一戸建ての家の三階に私の部屋があって、ものが多すぎて扉が閉まらないので自室と階段室はまるで一室であるかのように空気が混ざり合っている。なお建築基準法で二室一室とみなすことは到底できない条件だけれど、生活していると「ありえなくないよな」と思えてもくるから、例外規定に盛り込んでもいいんじゃないかと思えてもしまうが、図面だけ見たらやっぱりおかしいよなと思うのであって、3次元の生活感と2次元の平面図とではえらい違うもんだなと思わされる。さて、いま読んでいる野矢茂樹さんの『大人のための国語ゼミ』ではまさに、わかりやすい文章のための大事なポイントを述べられていたばかりで、そこには「よけいなことは書かない」と、ある。「それ自体はとても言いたいことであっても、その文章ではよけいなものであるならば、潔く切り捨てる」(p87)とある。まさにいまの建築基準法の話は、気流の話からしたらまったくの脱線だ。わかった上であえて挟ませてもらった。二室一室にもできない私の部屋でも、窓を開ければ涼しい風が入ってきて、開け放たれた出入り口の扉(もはや枠、だな)を抜けて、涼しい気流は階段室を降りていく。室内の空気は少し淀んで生ぬるい。暖かい空気が上方にあるぶん、入ってきた涼しい風は自然と下方向に流れていく。一人がけのソファにどっかり座って本を読む私の肩のあたりを通って抜けていく。
うちではルームエアコンを夏場にしかつけないけれど、その夏の夜では空気の冷温と気流の変化に楽しませてもらった。いちおうそれなりに新しいエアコンなので、人のいる場所、体温を感知して、体温が高ければ重点的に冷風を送ってくれる。基本的に他人より体温の高い私は、ランニングの後や風呂上がりにはうんと体温が高い状態が続く。家族でご飯を食べているとき、エアコンをつけてから時間も経ったのでそれなりに、涼しい。部屋のレイアウトは、対面型の4人がけテーブルで父と私が並び、向こう側には母と妹、そしてエアコンはというと母と妹の背中側の壁面についている。向こうの方がエアコンから近いのだ。近いのだが、体温が高めの私と父がいるもんだからエアコンはそこに目がけて涼しい風を送る。ふつう涼しい気流は下ってしまうので水平方向に飛ばす。私と父の元に下りるよう勢いづけられた気流は、手前にいるはずの母と妹の元には下りない。次第に「暑い」と言われる。扇風機を回そうにも、置ける場所が私と父の背側にしかスペースがないため必然的に私と父を介した気流が向こうに送られる。
誰も面白くない我が家の食卓の気流事情。部屋の外では雨が降ってきた。止むを得ず窓を閉める。
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