『連続』#225

必ずしも文章を区切るときに句読点が必要になるわけではないけれどあればその場で区切ればいいからわかりやすいので使います使いますがしかしじゃああえて使わずに文章を書いたとしたらそれはとても読みづらいものになるだろうことは想像に難くないそれは間違いないから同じ語句を並べて書き手側のリズムで間を取ってみたがしかし読んでみるとそこは連続させなくてはならないのかとも読めて結局全く息継ぎができない。
小説家あるいは文筆家といったほうが職種の意味する内容が幅広くていいだろうか、彼女、川上未映子さんのエッセイでは見開き1ページの文章に句点が1つだけしかない、つまり1つの文章全て読み終わるまで句点がない文、まさに一文なんだがスケールがでかい、そういうスタイルのものが幾つもあるからまったくすごいものだなと湯船で読んで(わたしは川上未映子さんのエッセイ「発光地帯」「魔法飛行」「安心毛布」の3つは全て風呂に浸かりながら読んだ)感心したものだった、前々に「ヘブン」と「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んで“この人は文章を書くことで読む人の人格の方を、そちらになにかを憑依させるんじゃないか”と思うくらいに文体が軽かったり重かったりと調子が変わる2つのご著書で凄みを思い知らされていたから、先のエッセイの、一応先の三編は食エッセイということになっている、習作とでも言おうか物凄いラフな口語体で様々に文体を使っているのにはそれまでの感心に加えて、改めての納得にたどり着いて、ただ、もきかしたら原稿の締め切りが迫る中でなにもトピックが無くてエイヤッと眠る前にバンと間に合わせたものであろうかと思う、潔い文章も混ざっていて安心するときもあった。
連なって、続く。そう熟語を作ってくれた先人に感謝したいのは、必ずしも物理的接触・密着が続くものではない語感を宿してくれたこと(この文にまとまるまで5分を要した。密着、に類する言葉が出なかった)。区切り、ひと呼吸、物理的になら、電車の連結部分、ひとの隊列、リズムを刻むビート、最後のはわからんがとにかく連続体が物理的に密着していることと必須では無くて何かしら弱々しくても、か細くても、接点を持って1つのものから次のものへと続くものであることが、連なって続く、その連続性の重点であるのだと思うと、そう思っていて、幸福な繋がりがあることを不思議と意識させられるのが昨今で、その意識は他人に共有可能であるかというと当人の実感あってこそなので不可能性が高いと思うから難しく、だからこそ自分自身にとって唯一な、かけがえのない不連続で幸福な繋がりなんだと、妙な結びになるがそういうこと。

#連続 #180731

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