『ベクトル』#60
2022年度から変更になる高校の指導要領に関して、数学のベクトルが数学Bから数学Cに移行されることに決まったそうな。代わりに数学Bには統計が加わる。つまり、文系志望の人は必修科目ではベクトルを習わず統計を習うという。ちなみに整数は数学Aから除外される。
最初に心境を書くと、ベクトルに触れる機会が無くなるのは(文系科目専攻であっても)まことに残念。整数に関しても同じで、自然数を(この概念自体と名称についてはピンと来ないので悩ましいけれど)習わないで“1”って概念を習得することは、わたしには難しく思える。
ベクトルについても同じで、ものすごく大事なことだと思っているのが3次元の単位ベクトルの存在だ(指導要領的には「空間におけるベクトル」というそう)。(x,y,z)の3つの変数がそれぞれ、“1”という数字を始点にして、自らの3次元・空間のなかでの位置(座標)を示す。位置(座標)を示すにあたり、原点からならばx方向にいくつ、y方向にいくつ、z方向にいくつ、そうして各方向の位置を定めて、ある一点が決まる。この、「3次元空間で生活している私たちが、この空間(室内とか室外とかで括らない、距離のある世界)において“ある一点”を指し示すための原理を知る」機会を高校生のおよそ半分(もっと多いのかな)が失うこと、それが私の憂う道。そもそもの“座標”って考え方は中学で習うから、全面的に無学という訳ではないのだろうけど。それでも、惜しい。
ひとつ白状すると、この残念気分はもしかしたら、ベクトル・3次元関数・図形、このへんについて私の苦手意識が無い、つまり嫌いじゃなくて「科目のストロングポイント」だと思っていたことに由来する。もしかしたら。昨今見かける言葉、「マウント」でしょうか。それだからか、複素数平面(あの、虚数iが登場する、想像が及ばない次元)について「なぜこっちが先送りにならないのだろう」と思いもする。あちこちのコメントで、「ベクトル無しに複素数平面は成立・教授できないだろう」という主張も見かける。わたしはそのコメントに関して「そうなんだ?」としか思えなかった。反論も賛成もない。高次方程式への導入、だったのかなと想像するだけ。
それでは私にとって、ベクトルがもたらしてくれた原理は何に役立ったのか。まず、大学受験で志望校に合格して、建築の勉強を始めることができた。受験科目としてのベクトル。それから実務に及ぶ。建築の位置と大きさは3次元ベクトルによって定まる。位置は、ある制定されている敷地境界線から垂直に何ミリ、別の敷地境界線から何ミリ、ある境界杭のてっぺんから高さ何ミリ、そうしてある点Aが定まる。点Bが、点Cが、定められていく。点を結んだ軸線でもって、建物の向きを決める通り芯が定まる。
そんなことを訥々と知った風に書いている私、働き始めてから職人さんに初めて点Aを決めてもらうとき、全ての点と軸線の基準を定めるとき、監督と職人さんと顔を合わせて合図をする瞬間、私の緊張は猛烈に高まり、体感時間tは、1秒に対してウン分の一に変換されていたと言える。言えそうだ。事務所へ戻ったときだか、その晩寝るときだかに、時間の凝縮ではない「単位ベクトルtの縮小変換」で、事象を捉えた。
私の思考のクセのひとつなのだ。ベクトルは。私のわかるためのツールが、他者のわかるためのツールから外れていく感覚。だから、寂しい。
こんなナイーブな締めにするつもりは当初、さらさらなかった。
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