『スーパーカー』#333

せっかくのゾロ目に、何を書こうか、迷ったような迷わなかったような。スーパーカーの楽曲に「333」というのがある。だからそれについて書こうかと思った。でも、その曲を残念ながら聞き込んでいないからそれほど書ける気がしなかった。曲にまつわる自分のエピソードもなければ、批評的に語れるほどの音楽理論も持っていない、となると、もうすこし引いてみて、演奏しているスーパーカーについて書こうと思った次第。ハマって以来、ハマりっぱなしでもう「どう聞いても性に合うんだな」と落ち着けようとしている。落ち着いているのかはわからない。いまも聞いている。
それまで聞いていたポップス、バンドの曲とは「ちがう」って思ったかどうか「ちがうのかな」ってくらいの感覚的な認識から始まった。大学時代に知り合った先輩が、何かしらの会話の中で発していたアーティスト名で、その場ではまったく気にも留めず後々になって製図室でふと、ブラウザで調べてみて行き着いて、「なにか、ちがうのかもしれない」と。「こんなん聞いたことない」とか「はじめての体験」というテンプレートを使ってしまうのは癪だがほんとに、「これまで聞いたことのない」音の空間が耳から入って脳内に築かれた。空間が築かれたのか、まるごと空間が入って広がっていったのか、真偽のほどはわからない。というか、そもそも書いた私に比喩の再現性の裁量が委ねられているはずなのに自分で「真偽のほどはわからない」だなんて、おかしな話だ。
それはそうと、スーパーカーの作り出す音の空間の話、その要素は「音の数が多いこと」と、それと重複する「電子音、ピコピコ音が一貫して流れ続けること」。ひとつ“バンド”と言うと、演奏者の数だけ音源があるわけだが、それまでは“4人だったら音源(楽器)は4つ”と認識していた。オーソドックスな4人体制ならボーカル、ギター、ベース、ドラム、と。ツインボーカルだったりボーカルがギターを弾いたりしてればそれだけ音源の数は増えるけれど、それは頭数が合うので違和感がない。スーパーカーの演奏では「どうも頭数より音源が多いぞ、音が多いぞ」と思ってしまうのだ。今となっては腑に落ちることだけれど、収録でもライブでも、ギター等の楽器に加えて電子音を足すことは入力さえしておけば簡単なことで、自律して音を刻み続ける。その音の種類、数が多いのだ。その音の多さが空間の広がりを感じさせるのだ、立体感の増幅と言うのか、それをベストに楽しむため、買い換えのイヤホンを決定した。
いま、そのとき買い換えたイヤホンを一年前くらいに失くしてしまってからiPhoneの付属イヤホンを使っているけれどそろそろ、買い換えようと思っていてまた新しい空間を体験したいと、思っている。とか、千文字ばかりじゃうまく収まらなかった。収まらないよね。

#スーパーカー #181116

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