『ハンドル』#245

人間の身体性を拡張するものの一つ車にバイクに自転車に、ショベルカーにも付く船にも付く、操舵装置。
ネイチャーか何かで、人間が棒を手に持って扱うときに身体感覚を手より先のその棒にも拡張できるって文を見たもので、ふだんなんとなくわかっているような、その感覚に、科学で裏付けがされたようだ。
テニス選手やバドミントン選手のラケット、プロゴルファーのクラブ、スキーヤーやスノーボーダーの板やストックもそうか、スポーツで思いつくところではそのあたり。ラケットやクラブについては、インパクトの瞬間に作用するので、なんとなく「手足の身体感覚」と言うにはなんとなく、関係性がやや薄く感じるけれどそれでもインパクトの前後にある流れとインパクトの瞬間に発生する先端での力加減やタイミングの取り具合については凄まじい精度を要求され、そしてレベルが上がれば上がるほど、精度が細かく鋭くなっていく。
そう、身体感覚を道具にまで拡張する、というのは、言葉のニュアンス的にはわかるけれど実際にどういうことかって、そこは表していない。その点、こないだ読んだ本で、「器用さ」について定義していた言葉で援用するとよくわかるかと、思った。
“器用ということは、自分でこうしようと思った運動動作が思い通りに、間違いなく、敏捷にできることをいうのである。”(時実利彦『人間であること』岩波新書,1970)
この器用さを、道具にまで及ばせ、「思い通りに」「間違いなく」「敏捷に」動かすことができることだと。そういう意味で、F1レーサーや外科医師においては、身体感覚はどこに及んでいるのかと、ふとした疑問がわく。F1レーサーに限らず熟練したドライバーはタイヤが捉える路面の石の大きさすらハンドルを通して感じ取ると何かの本で読んだような誰かから聞いたようなテレビで見たような、記憶がある。さて、賞金番組かなにかで、狭いスペースの縦列駐車に挑戦するドライバーはハンドルを巧みに操って前後の車と接触しないようにするりと入って停まった。それでは、ドライバーの身体感覚は一体、手から先、どこに及んでいるのだろうか。ハンドルの微妙な回し具合にも宿っているだろう、何せ手と接しているのだから、確実に拡張している。では、路面の感覚や走行するライン、車幅と全長、車の外殻の距離感、ここにまで及んでいるとも思えるが、ハンドルから外のパーツまで、目に見えない機構を介してそこまで、拡張しているのだろうか、そこに不思議が、疑問がある。ハンドルまでじゃ、ないのか、と。それは外科手術なんかに使うロボットアームにも言えて、医師はハンドルというかコントローラーを操って外科手術用のロボットアームを遠隔操作する。それについても、器用に操っているのはコントローラーであって、機構を介して離れているロボットアームは、コントローラーに操られているまでだ。
器用に操っているのはハンドルで、車であるともロボットアームであるとも言えそうだけれど、果たしてどこまで、身体感覚は拡張するのか、気になる。気になって気になって、ほうと途方に暮れる

#ハンドル #180820

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