『横断歩道』#118

町を歩けば何度横断することかわからない、道路、その道路を横断するために架けられた吊り橋、白のボーダー、横断歩道。
なんかおもしろみがあるんだ。
そこに存するのは車道、車の通り道で、そこを歩行者(あるいは自転車)が横断するための、補助線。必ずしもその横断歩道でないとその車道を渡れないわけじゃない。信号が付いている場合なら、信号と連関して渡りやすさが確保されるけれど、信号のない横断歩道は歩行者にとっての補助線で、そして車を運転する者にとっては目印、歩行者がそこを横断しうる目印だ。横断歩道でなくても、横断はできると書いたが、それは飛び出しと言える。藪から蛇が出るような。そういえば横断歩道に関しての法律もあったっけか、基本的には横断歩道を渡らないといけなくて、周囲に横断歩道が見つからない場合においてのみ無表記の場所で車道を横断することが許されている、みたいな。そんで横断歩道は、車道と交通量に応じて何メートル間隔以内に設置しなければいけない、とか。あったようななかったような。
それはそうと、小学校への通学路、信号はなくて片道一車線だけどそこそこに交通量の多い道路を渡らなければならないところがあった。朝の時間、のんびり歩くだけでもなく、友達と集合して学校に向かうこともあるし、そのときに影踏みや鬼ごっこをしながら行くこともあって、まぁ、騒がしく駆け回って登校することしばしばあって。そんなとき道路って確実に死角、意識において死角、通学路が両サイドを壁で囲われたトンネルのような一本道であるように錯覚している。せいぜい通行人と標識と段差くらいしか拾えていない。すると、その往来のそこそこある車道を横断するのにも、ふとした瞬間にポンって飛び出してしまうこともありうる。でもそこは誰かがひかれたりクラクションを鳴らされたこともなくて、安全に通えていた。それは、その横断歩道のあるところ、みどりのおばさんがいたからで。みどりのおばさん。何も、全身みどりづくめだったわけでもないし、帽子がみどりだったとかそういうことでもないし、誘導の旗がみどりだったわけでもない。ただ、たぶん学校でだったと思うけど、「あなたたちの通学路で車の多いところでは、みどりのおばさんがボランティアであなたたちが安全に横断歩道を渡れるように働いてくれているんだよ」みたいな紹介をされていた、気がする。それで、みどりのおばさん。色について何も疑問に思ったことはなかった。そして、この色は、オチに使うわけでもないです、ただ謎のままです。服装はグレースーツで、看護師の婦長さんがかぶるような帽子で黒色っぽいやつだったし、旗は黄色だった。割と柄が長くて背丈くらいあった。子供たちが渡ろうかってときに、ピッと笛を吹いて旗を道路に差し出して案内してくれる。私らの通学路にいたのはおふたり。痩せて肌の白い、少し不健康そうに見えたおばさんと、ふくよかで明朗に話すアルトボイスのおばさん。いつからか、痩せたほうのみどりのおばさんは引退していて、ふくよかなみどりのおばさんひとりで毎朝、そして毎下校時間に立っていた。そう下校時間を見込んで、30分ごとぐらいに出てきてくれていたんだ。それは小学生ながら驚いた。そのみどりのおばさんの住まいは、私の家の前を通った先にある。何回か、引き上げるタイミングで遭遇したことがあって、気づくとまた、交差点に戻っている。安全に、横断歩道を渡れる。
交差点に立つ。車の往来を左右で確かめる。車が止まりそうにないなら存在感を示すだけ示して待つ。止まってくれたなら軽く会釈してすたこら渡る。ランニング中は手信号だな、パッと手のひら出す。歩幅を調節して白い線だけを踏む。これはいまでも無意識にやっちゃうんだよな。少なくないひとがそうなんじゃないかな。渡りきったらまた、両サイドには壁が立つ。
ちなみに、みどりのおばさんはいまでも現役だ。たぶんだけど、あのころはおばさんじゃなかったんじゃないかな、せいぜい30ちょっとくらいで。いまも、明朗なアルトボイスである。遭遇すればこんにちはと、驚くことに向こうも覚えているんだ。迷いなく挨拶できる。

#横断歩道 #180415

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