『シルバーシート』#230

いまは優先席と呼ばれているあの電車の端っこの三席。“シルバー”という呼び方が高齢者に限定してしまい、妊娠者や障害を持った人を含まないような印象を与えてしまって良くないとか、そういう、知った言葉では“ポリティカルコレクトネス”、言葉の上で意味の取り違えや印象のズレを無くすための最大公約数的な名称を、ということで、優先席になった、のは私が小学生だか中学生くらいのこと。あのころでも、ばかばかしいな、と思ったもので、朝のニュースで新橋駅前のインタビューが流れて「(優先席に名称が変わって)もっと席を譲る契機になればいいですね」とかそんなコメントがあったのをうっすらと覚えている。「んなこと、『シルバーシートから優先席に変えよう』と言い出した人間が言いそうなことそのまんまじゃないか」と内心で思っていたけど、いまならもう何もわずらうことなくそのコメントが“改革者の代弁”であるだけのこととして「はい正解」と納得して味噌汁をすする。
話は優先席に移る。
最近はやや落ち着いた気がするけど、一年か二年前くらい、山手線で優先席が三席すべて空いているのを見て、おっ?となったのを覚えてる。昼過ぎの山手線、長座席はすべて埋まって通路にも肌は触れ合わないまでも結構乗車率の高い状態、優先席の前にも立つ人がいたなかで優先席がガラッと三席空いていた。空けておく席になっていた。それはシルバーシート時代も変わらなかっただろうとは、思うけど(親から幼少時に「そこはおじいさんやおばあさんみたいに身体の弱い人が座るの」と教わったからな)、わさっと人が乗ってる車内ですごく違和感のあるスペースだった。
出る杭は四方八方死角からも打たれる最近の社会では、君子危うきに近寄らずって雰囲気なのかもしれない。まったく賢く無い。「三人座れば通路の混雑はまだマシになるのに」と思う扉側の苦しい人が思う。かといって、押しのけて入って座ってまでスペースを緩和するかといえばノーで「(超座りたい自己中な人」に見られる羞恥心が目の前を暗くする。私はそれで、扉側の苦しい人間に成り下がった。
それは、山手線と東横線で顕著で、そして、東京都市圏の中でも中心部にだけ強く、近郊でも中心部を離れれば合理的に埋まる。ただ、長椅子に余裕がある、郊外の路線では、だいたい空く。
そういえば、高校か大学のころ、横浜市営地下鉄は「「全席優先席」と「最優先席」を導入する」ってニュースがあって散々笑ったものだった。身の回りでは「頭狂ってんじゃ無いのか」「少し考えればおかしいってわかるだろ」って言い合っていたけど、そういう「思考基準が、視点と視座が、おかしくなっていること」って実は少なくない。首都大学東京をまた都立大学に戻すとか、そういうのもそう。
優先席から厭世的なことを。

#シルバーシート #180805

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