『言う』#197

何気なく使う言葉だけれど、意味というか、さらに原点というか本質というか核みたいなもの、言うと言う定義、みたいなもの、それはなんだろうなぁとふと疑問が立ち上がってきて戸惑っているところ。
パッと瞬間的に見当をつけたところでは「相手に聞かれると聞かれないとに関わらず、言葉を口から発すること。他の似た意味の言葉と比較して、抽象度が高い」二文目の“抽象度”については、“汎用性が高い”と言い換えてもいい。
言うことなし。ミーンズ、ケチのつけようがない。言葉、もすこし具体的には指示や指摘は要らない、ということ。人との会話、やりとりには言葉が重要なのだとよくわかってきた。
何も言えねぇ。水泳選手、北島康介の有名な発言のひとつだ。オリンピックか、世界水泳か。泳いだ直後のインタビューにて。このときの映像では、嬉しさとか悔しさとか達成感とかそういうのを読み取ることができなかった。彼がそう言ったとおり言葉にできたものはなく何も言えず、表情や仕草から彼の感情をこちらが言葉にすることすらできず、何も言えないものたちとなった。そもそもその前回のオリンピックか世界水泳かで彼が残した言葉は、大反響で大ブームを巻き起こした。中学生かあるいは小学生くらいだった私のまわりでもみな、チャンスがあれば嬉々として「超気持ちいい」と言った。発言自体は「気持ちいい。超気持ちいい」だ。あのとき彼が言った言葉は、レースの結果もパフォーマンスの良さも相まって見ている私たちも、彼が言葉にすることがなかったとしても目で見て、よくわかっていた。そこに、極め付けの、どストレートな、気持ちの表現。もうこちらからは、何も言えない。
言う、と同じように自身が口から言葉を発する単語としては、話すとか喋るとか語る、とか、あるけれど、話し言葉に喋り言葉、語り言葉、それぞれに言葉のあるべき型を持っているような印象がある。それに対して言う、は先に書いたとおり“抽象度が高い”というわけで、なにかをただ“言う”ことについては相手がいれば適切なマナーがあるだろうけれど相手がなくてもひとりごとを言うことはできるわけで、たいへん自由な、はめるほどの型を持たない単語なのだと感じる。
まとめ、何が言いたいかというと“言う”は何でも言えちゃう、魔法の言葉。そういうこと。

#言う #180703

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