『テンション』#142

テンションはわりと低いほうだと思う。そんな宣言、誰も得しないしどちらかといえば高いほうがありがたがられる、低いと言われたら「あぁ、そう」と相手も下がるだろう。
低いほうだと思う。鐘に例える場合もあるけれど、その場合なら、撞いてもなかなか響かないほう、だと思う。
この使い方をする、人間の調子とか気分とかに関わるテンションを定義するのってだいぶ難しい。そもそもは糸や橋、引っ張ってピンと張るものの力のかかり具合、線材の張り具合を表現する言葉なわけで、張力だ。いま俗的に使われているテンションとは直接的に表現が合致してもいないので、誤用の過程を経ているんだろうと思ったら案の定で、まず人間の状態としては「緊張」や「不安」を示す用法で、テンションが高まる、というような使われ方をしたらしい。しかし、わたしはこの過程を知らなくて、いまひとつこれはこれで、ピンとこない。テンションが上がらない。緊張でなく、気分や気持ちのボルテージとして、上がらない。
張り具合ということで緊張と結びついたことは想像に難くない。これは日本語の字面として、であって、では英語のテンションを持ち出して「緊張する」ことを「テンション高まる」と言う発端はどこにあったのだろうと、疑問だ。そんなこと言ったら「永谷園」と「やばい」が合体して「やばたにえん」になることだってまったく必然性も縁もないことなのであるクラスタでの閃きと盛り上がりが拡散した結果だと納得してしまえばそれはそれでいい。テンションについても同じか、どこかで「テンション上がるわ〜」が、緊張とあわせて高揚感きてるわ〜に合体したのだろうな。
元の張力としての意味合いで考えてしまうと不思議なもので、テンション上がるわ〜っと上がっていって、上がっていって、はち切れたらその時点はどういうことなのだろうと、上がりきって「白目向くほどフィーバーなアゲ模様」なのか「ピンピンに張っているのが切れて燃え尽きたダウン状態」なのか。俗的な意味合いは前者だけど、文語的・語義的な意味合いでは後者だ。第三の選択肢としては、千切れる寸前の、指で触れることすら許されない極大の張力を示すかもしれない、個人的にはこれであってほしい、上がりきったテンションは。
ゆるみきって張りのない人生でも時々には、スーツを着たりネクタイを締めたり、あるいは筆を執るときであったり、背筋の伸びるレストランでメニューを開く瞬間であったり、キュッとテンションが上がることがある、あればいい、あってほしい、指で弾いて長鳴りする何かしらの音が、あってほしい。
そんなことを最近昼過ぎに目を覚まして思う。

#テンション #180509

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