『聞こえる』#179

何かしらの音が、耳に入り込んでくるかたちで、『聞こえる』、自動詞。目的語をとって、何かしらの音を、「聞く」、とは区別して書く、今回のノート。
昔っから、街中を歩いていたり家の中にいたりまぁどこにいたとしても、自分の注意が何かしらに100%集中してはいない散漫なとき、聞こえる音を、何かに結びつけるか、心当たりのある音にピンとくるとか、とにかく聞こえる音に「おや?」と意識を引かれることが多々ある。集中力については、100%まで入ったときはガッツリ遮音耳になるんだけれどまず基本的に集中力は散漫で入りきらないものだから、何かしら意識を引くものがあればそっちの情報を拾ってしまう。テスト中に聞こえていた誰かの鉛筆のカリカリ音がピタッと止まってしまって回答に悩んでいる様子が“見える”こととか、朝の駅までの道のりで川崎って街はベッドタウン要素もあるので淡々と足早に駅へ向かう人が多いなかでフフンと聞こえる鼻歌にこちらも心を躍らせてみたりと、聞こえてくる音をやたらと気にしてしまう。このへんは、誰もが経験あるであろう“聞こえる”体験だとは思う。きっと珍しいことじゃない。聴力が特別に良いってわけでもないし、絶対音感もなければ共感覚もないので、ただ、意識が外向きなだけ。ショッピングモールやオフィスの入り口や駐車場でしばしば、猫避けか鳥よけの高音をチリチリピピピピと発生させてるところがある。そういうとき、十数メートル離れたあたりから聞こえ始めると「あぁ、」と萎えてくる。どうやら人間をも排除する効果もあるらしい。その話は彼女的にツボだったのか、妙に面白がられた。ような記憶がある。
そして、彼女と共通しているというか私かあるいは彼女がそういう癖を持っているのか、飲食店やカフェやあるいは美術館でもそのへんの雑踏でも、他人の会話や発声を拾って面白がる、悪癖とも言える傾向がある。自分らが自発的に会話を、話題も材料もない時が多いもので、無言の空間を作ることしばしば。そんなとき、聞こえてくる会話でもって、「なるほど」「わたしも」「わかるわ」「ね」と話題を頂戴することがある。小説家や建築家でも、日々の風景や何気ない日常から、題材を観察して取り上げることがあるから、これまた珍しいわけでもなく、それに類するものだと言えるが
、聞こえる雑事にこうも反応するのは、少し珍しいのかなと思ったり思わなかったり。鈍感だと言われるほうなので、でも、妙なことを気にするよねとも言われるので何とも微妙な感覚だがとにかく日々生きるなかで耳に聞こえる音があるってのは楽しく生きられる希望というか面白みとして、ありがたいなぁと思う次第。
わたしの語感は、個人的に鋭い度合いを付けるとしたら、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、視覚。においに、引っ張られる度合いもまた、ハンパない。

#聞こえる #180615

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