『センチメンタル』#55
イチローと打率について書いたあたりから、55だったらゴジラを書くつもりだったんだ。しかし私には松井氏に関するいくらかの知識と、ことゴジラに関してはシン・ゴジラを観たという経験しかないこともあり、また2月11日に友人同士、かつ新婦はかつて交際していた相手の結婚式に出てきたこともあって振り返ったときに漸次的に強いものについて書こうと思っていることからテーマは『センチメンタル』。前もって言っておくと、結婚式について私、そんなセンシティブな人間でもないので派手におセンチになったわけではない、そう。
無意識的には意味をそれなりに捉えている気持ちでいる“センチメンタル”という言葉、一応意味を確認してみると「感傷的なようす」「情にもろい」「涙もろい」とか出てくる。個人的に面白いなと思ったのは「弱々しい感情に走りやすいようす」。感傷的、って単語よりわかりやすくて、センチメンタルって単語から想像する表情や振る舞いにしっくりくる。まさに!と膝を打つ勢い。エアで。
情にもろいとか、そんな性格が良くもないのであまり弱々しい感情に走りやすくなることもない。直近でおセンチな気分になった時を思い出してみると、思い出してみると、みると。みると?みれない。書きながら思い出せる近さに無かった(書く手を止めると文章も千切れるので出来るだけ書きながら考えている)。こうしていて思い出したのは、祖母のことだ。身体も元気で頭脳も明晰な祖母、というのは小さい頃からイメージ、というか、二世帯で住んでいていつも会うから実体なんだけど、そう印象があって。ただ、数年前から、耳が少しだけ遠くなって、玄関から祖母の部屋に軽く声を張って言う「ただいま」「いってきます」が届きづらくなった。そのうちは「まぁ年齢重ねりゃそりゃあそうだわな」と思って、部屋まで行って声をかけるようにしていた。いまもしている。ただ、ここ数ヶ月のうち、ボケが出るようになった。前はテレビを見ていたり新聞やら読んでいたりしたものだが最近は見ず、やることがなくて眠っていることがしばしば。そうして時間感覚が弱くなっている。夜中の4時に浴室からの呼び出しボタンが鳴って何事かと見に行けば、風呂掃除をしていて浴槽の栓の抜き方がわからないためその辺のボタンを押したと言う(うちの浴槽の栓はというと単なるゴム栓なのでボタンも何もない)。うちは水金日の週3日に湯を張るのでその日の夕方に風呂掃除をするのが習慣である。なので、祖母には時計が示す時刻4時は深夜でなく夕方として知覚されていたのだった。外は真っ暗だが。あの瞬間、あの時間を思い出すといまでも感情諸々が詰まった袋がしゅうっとしぼむような心地になる。普段は会話も問題ないし奇妙な振る舞いをすることもない。ただ、不規則な睡眠の時間によって時刻の感覚、認知がズレる。会話の少ない家庭、どころか不足と言ってもいいくらい情報のやり取りが少ない我が家で、そのうち自分は実家を離れる。脳の刺激は会話でよく促されるというのは知っている。その機会が大変に少ないし、意識して会話を増やそうとしてはいるがそもそもスキルというか、会話力の乏しい各人である。そうしたとき、祖母は勿論、さらに父や母の今後を思うと弱々しい感情になる。マメに、一日一日でないにしても日々のことはやりとりしていきたいと思う。
これ書くだけで千文字をゆうに超えてしまったので、終わりに、結婚式に関してひとつだけセンチメンタル喚起したところがあった。私は普段写真を撮るのは景色や目に付いた奇妙さのあるところだったりで、それこそツーショットとか記念写真をまず撮ってこなかった。そのお式の受付に飾られたたくさんの、2人の旅行や日々のなかでの楽しそうなツーショット写真は「ある」と「ない」との大きな違いを感じて、目を細めるとともに感傷的な気持ちにもなったものでした。
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