『障子』#66

悪い子ではないので「へへへ、えいっ」と破ったことはない。しかし、わが実家の障子は下半分がたいへんよく破れているのが現実である。もう、いつ過去に張り替えたかわからないほど黄色くなっている障子紙には、ところどころ継が当てられている。いったいいつ穴をあけていつ継いだのかわからないが、かさぶたと傷跡を往復しながら別のところにかさぶたをつくる小僧の、肌のようだ。ただし肌は元どおりになるところも、あるが。
物心がつく頃には、幸いに私は障子がある家で育ち、祖父母の家にも必ず障子があった。「紙が破れやすいから触らないように」「水で濡らしてもダメだから、雨が降ってきたら窓を閉めるように」「和室では暴れるな」そんな教えを受けてきた。最後の、和室では暴れるな、というのはなかなか含意が大きくてイイゾとつい先程思って書き足した。無論、障子が破れたりさらに枠が壊れたりすることを回避できるし、畳が痛むことを避けられる。また、和室も部屋によっては仏壇やら神棚が置かれているために、ぶっ壊してしまってはシャレにならない。デリケートな障子の抑止力によって、平和が得られていたのだ和室。
ただ、今日的には和室は必ずしも必要な部屋でもないし、イス座のフローリング暮らしでベッド就寝の人にとって、和室を設けるとすればあえて作る、つまりある意味、必要に駆られてしか作られない。マンション住まいをするとしたら、和室はあるか無いかは事業者次第で設置済みかどうか、自分の一存では無い。そこにさらに、和室だからと障子を設けるかといえばまた話は別だ。タワーマンションの窓に、障子が建てこまれて外から見えるところはいままで一度もない。ほんとに〜?と自分でも思ったが一箇所たりとも記憶を呼び出せない。
まこと、残念なものであるなぁと私は思っている。うっすらと光を、明るさを室内にもたらしてくれて、窓辺の冷えや暑さが室内に直接伝えられないよう、中空層・空気層を作ってくれる。光環境的にも温熱環境的にも有効な機能を持つ。ただ、この2点はレースカーテンとドレープカーテンとを使えば代用できてしまう。何も障子でなくてもいい。モダン・モノトーン・カラフル・北欧風、、などなど和風とは異なるテイストの部屋に障子を導入するというのはもはや「ハズシ」のアイテムという位置付けだ。立て込んだけど、ハズシ。うむ。細い格子で組まれた白木と片面に貼られて面落ちになった和紙の組み合わせは(と、ここまで打ったら予測変換候補に「最高」「最強」「最高だ」と並んでいて“わかっとるやないか!”と歓喜した)最高。
個人的に好きなのが雪見障子である。実際に身の回りにはなく、一度泊まった旅館にあって、それから設計中に話題になって取り上げたくらいしか接点はない。障子の下半分が可動ですり上げることができて、向こう側を見やることができるもの。開く部分にはガラスがはめ込まれていてツーツーになることはない(なにせ雪見、風が入ったら寒かろう)。そこそこ広くて眺めたくなる庭があったならば是が非でも取り入れたいものだ。
その、雪見障子があったとして、下半分を穴開けてしまったとしたら元も子もない。秘すれば花といかなくなる。眠っている間の寝返りにも、起きて伸びをしたときにも、なんとしても突き破らないよう気をつけたい。

#障子 #180222

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