『襟』#59

襟は。場のフォーマルさ及びカジュアルさを示し、意気のフォーマルさ及びカジュアルさを示す。場の環境・アーキテクチャを構成し、個人の参加意思・想像力を発露させる。男性の装いを形作るもののなか重要な役割を果たす。襟は。
学ランで、なかに何も考えずワイシャツを仕様として着ていたころは、スラックスの腰の高さと学ランの丈の長さと、冬場はカーディガンぐらいにしか意識が届いていない。思い出してみると、女子のブラウスの襟もほぼ差異のないものだった一方、わずかに記憶に残っているのは、丸襟と角襟を使い分けている人がいたこと。誰かは覚えていない。付けネクタイやリボンをしている人が多くいたなか、角襟にネクタイやリボンが付いているのはかっこよかった。違いはそうあれ、襟の無い(羽襟の無い)制服スタイルはなかった。基本的に。中学のとき、学ランの下が赤いTシャツだった先輩はいたな。それをフォーマルさとカジュアルさの程度を意識的に違えてるって思うと興味深い。社会人における「ネクタイ=首輪」と言う主張に沿うところ。ちなみに私は「無抵抗に滝汗を流す時期にはネクタイもジャケットも不要にする心構えにしようよ」って感じで、それこそ「襟があれば涼しげでよいでしょう」って主張。冬は悩む。
シャツの襟って直しづらくて、一番先にくたびれるのが後ろの首と当たる襟の折れたところ。ボロボロになる。襟足が長い頃ならなんとか隠すことができても首を動かせば見えてしまうし、襟足を切って仕舞えば恥ずかしくあらわに。ダメになりやすい箇所のひとつ袖口は、暑がりで袖捲りすることが多いからダメージは少ない。ことワイシャツに限ったことでなく、Tシャツにしてもそう。首回りボソボソ。切りっぱなしのカットソーは難易度が高い。ただちに「自分で切ってアレンジ?」ってほつれ具合になる。
このあいだ、ユニクロのホームページで連載されている松浦弥太郎さんの記事を読んだ。ユニクロの服100点に関連して(その製品自体に関連する文章ではなく、製品の形態や特徴に紐づけるものだ)、私が読んだのは026のMEN UクルーネックTシャツ。文章は“「1945年に刊行された、アレクセイ・ブロドヴィッチの写真集『Ballet』のカバーケース付きを探してほしい」”だ。松浦さんがアメリカにいた若い頃の話。入手も困難、手がかりもなかなか掴めない、そしてたいへんなプレミアがつく写真集を絶妙な縁で手繰り寄せようとする話。軽妙に書かれているが相当タフな日々だったろうと思う。そのタフな日々を紐付けられたのが、ヘビーウェイトのコットンでしっかりと作られた、ユニクロUのクルーネックTシャツだった。そもそも、その記事トップの写真がカッコよくて目に付いた、松浦さんのInstagramから飛んだのが読み始めるきっかけで。少し重いくらいのシャツは私自身好きだったので(オーキバルやセントジェームズのボーダーシャツに憧れもあって)、記事を読むうちに欲しくなっていった。ユニクロの社内ブランドのユニクロUは、バイト先の人からルメールとのコラボ(デザイナーのルメール氏もそう聞いたときに初めて知った)で仕上げられたものだ。そして今回の『襟』はこのTシャツの襟にも紐付く。
長く着るうちに擦れて削れてボソボソになる襟は見すぼらしい。ただ、このTシャツの襟は少し擦れたとてTシャツ自体のタフさに相まって、しばしば言い習わされる「味」を醸すだろうなと思うのだ。
そんなふうにフォーマル・カジュアルの話から、使い込みによる味についての話を繋ぎ込んだこのnoteで、格式的な起承転結をもたず、正す襟もなく、記事を100数えるころには一体どんな装いになるのか、自分でも楽しみ半分、不安半分といったところ。

#襟 #180215

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