『ため息』#162

何か思うようにいかない場面、例えば信号に妙に捕まってしまって乗るつもりだった電車に乗れずホームに立ち尽くすとき、例えばドラクエをやっていてボスと熱戦を繰り広げたのち力尽きて敗れたときウワー!くそーっ!と声を上げて思うまま発散したのち天を仰いで「はぁ」と。
電車に乗っているとふた呼吸に一回、はぁとつぶやく人がいる。ときどき。決して遭遇する頻度は高くないけれど、一度となく何度も耳に、目にしている。疲れているのか、たまたま暗い出来事があって電車でひとりの時間に息を吐き出しているのか、ただのクセなのか何かしらの限定的な理由があるのかはわからないけれど、ときどき、いる。一回性ではない、ビートに乗って複数回刻まれるため息、刻まれているのだからもしひと息に吐ききってしまったら酸欠になるのかもしれないそれくらい溜め込んだ息なのかもしれないと思えば刻んでくれて大いに結構ぜひ苦しくならぬ程度に刻んでくれたまえと思わなくもない。そんなとき車両内は甘い気だるさと同情と少しの苛立ちで満ちる。私はといえばイヤホンを差すことは躊躇われてひとまずInstagramを開いてみるかこうして文字を打つか読むかして空気になる。
私はといえばため息をつくときって心当たりがない。軽く集中してくたびれたときに鼻からフウンッと息を出すときはあるけれど肺から口へ、溜め込んだ空気をドンと出すことってあまりない。高負荷のランニングの後にブハァっと出す息はため息ではないとして、「ハァ」と効果音をかけるほどのため息にはとんとご無沙汰な気がする。心を落ち着けるためには「フゥ」だし安堵の瞬間には「ほぉっ」だし、つまり落胆の「ハァ」が訪れる瞬間がないということなのかと、思う。落胆には期待や予想があるもので、それをせぬまま目の前だけ見ているから反射でしか反応しないことが起因するのかどうした理由があるのかわからないがどうも落胆というもの、しかも瞬間的な刹那的なものは無いということなのだろう。試験に落ちるとか懸賞で外れるとかその、発表を目にすることで落胆を経験することはある。その瞬間にはもしかしたらため息をつくのだろうしかし意識できたことがない。
つまりため息って自分の身体と同じく、目に見える範囲ってとても狭くて、背中やお尻や首の裏とかそれらと同等のポジションにある動作なのかもしれないなと思うもので、身体に備わった防衛反応できっと「他人に見えるけれど自分では知覚できない、だからこそその見せ方には細心の注意を払うのだよ」と暗示されたものかもしれない。
ザ・ピーナッツのスヌーピーの漫画では事あるごとに“SIGH”(和訳:タメイキ)が発せられる。漫画のオチを作った主役に対して、脇役が自ら背に回るような、そういうような、ことかもしれない。

#ため息 #180529

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