『忘れる』#222

昔からそうだった気がする。そんな気も確かな記憶ですらない。かつてあったことの事実だって、これからあるだろう未来、確実性の高い予定だって、目に見えるところにバンと明示していなくてはアタマのカレンダーからさらりと消し落とされてしまったときに書き直すことができない。「あれ、あの予定はこの日のこの時間だったと思うけど、どうだったっけ」と。思い出せる限りで手元のケータイのスケジュール表に日時を書き込む。
そうして私は、ブラインドが全開で明かりもついていないし誰もいない歯医者の店内を覗き込むことになった。開店9時のすぐの予定だと思っていた。財布をなくしてそのまま一緒に診察券も無くしてしまっていた。予約はその紙にしかなかった。とりあえずケータイのスケジュール表に書き込んでおこう診察をドタキャンしてしまうのはマズいし、確かこの日の9時だったよな、と書き込んだ。その予定が、間違っていた。真っ暗な店内を覗きながら、目のピントを手前に引きしぼる。目の前のガラス面にはハッキリと午前10:00-と印刷されている。そうして、その日の予定をおじゃんにした。歯医者→健康保険証の再発行→運転免許証の再発行、と進むはずだった。特に運転免許証の再発行は午前も午後も受付時間が短い上に審査と発行までの時間が長い。分刻みのスケジュールを組んでいたのに、まんまと初動で崩れた。1時間の余計な時間は、健康保険証を先に再発行して、それでも余った時間はコーヒーを飲んで、それからゆったりと歯医者に向かった。すぐに終わりますよと聞いていた施術で、そのとおりすぐに終わった。運転免許証は午前の部は諦めて午後の部にした。
その後のランチの予定があったから、昼ごはんは後にして運転免許試験場へ向かった。神奈川は交通の便の悪さで有名な二俣川。しかもその日は台風到来直前で風も強く、雨が降り始める頃合いだった。運の悪いことに、風が大して強くもないタイミングだったのに、だったからか、路地からの突風を受けて傘をさばききれず骨が一本やられた。朝からの不都合な日程から苛立っていた自分は、自分の油断と怠慢にどうにも苛立ちを抑えきれない。粘つく足取りで到着した免許センターで、さらなる悪手を咎められる。運転免許証の再発行に必要な本人確認書類で、公共料金の支払い票を持参したのだが、それだけでは足りぬと。記名スイカでもNG、とりあえずと持参したパスポートも期限切れのためNG。「保険証や免許証は」と言われ「それを紛失したから来てるんです」と愚にもつかぬ反応を返す。「ですよね」。じゃあ、と。「神奈川県のセンターですし、住民票の写しが発行できる機械はありませんか」と尋ねてみたが「は?いや」と返ってくる。淡い期待も脆く崩れ、結局申請はできず。乗り換えまでしてたどり着いた二俣川もただ傘を壊して、次回多少楽になる印紙発行をしただけでトンボ返り。破らんばかりの怒りを空腹の胃袋に溜め込んで、ランチへ向かった。
脳の整理には忘却は必要な機能だが、日常に差し障りのあることまで抜けてしまうとそれは機能不全であるとしか思えず。またこの怒りも忘れるのだとしたら、良きことか悪しきことか果たしてどうだか。

#忘れる #180728

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