『あぐら』#329

あぐら、胡座、なぜ「コ」なのか。ザッと調べてみれば、胡という文字は中国由来のものを示すという。大雑把に外来のもの、として、椅子座の椅子のことを外来のものとしてそれを利用した座り方のことを、正座と対置して語源とする説もある。ひとまずは、胡坐とあぐらとは平行していたものを一つの漢字と読みに収斂させたものと言えそう。
身体が硬くて正座もままならない私は、あぐらにしても楽ではない。股関節が硬いからか、あぐらをかいたら腰と背が丸まってしまって重心がやや後ろに傾く。だから前からポンと押されたら抵抗することもできず後ろにコロンと倒れてしまう。身体が柔らかく脚の長い友人で、あぐらが非常に美しい者もいるけれどあの姿にはとうてい遠い。脚を崩して良いです、と言われたとて、楽になるわけでもなく、ただ、長い胴の上からほぼ毎回相手を見下ろしてしまうアングルを和らげるのには、あぐらに座り変えるのが良い。身体的には変わらないけれど心象的には幾分かマシ。
たいていはあぐらをかくと足が膝より下で床につくのが一般的だけれど、瞑想や禅的な印象を与えるあの、足を腿の上に置く座り方、あれはいつか平然とできるように練習したい。先のあぐらの美しい友人はその座り方、彼は両足を腿に乗せた姿まで美しい。その座り方は正道には結跏趺坐といって、仏教の経文中にも釈尊がその座り方をして説く記述がある。結跏趺坐まで書かず結跏し、までだったかもしらんが、とにかく足は腿の上にあったらしい。そうして座禅を組むこと、その姿勢に憧れるのはなぜだろう、ピッとした姿が端的に美しいからなのだろうか、理屈がわからなくても美しいと思ってしまう。背筋が伸びて、脚が左右水平に均整が取れて尖った膝端部がキいた、この「⊥」、これ、垂直を示すマーク、数学の時間に習ったこの記号に似ているからって理由ではないはずだけどこの、接点から伸びる3本(あるいは2本)の均整に心が打たれるのだろうか。
ギリギリの半跏趺坐しかできないわたしでも、まず、美しい胡坐の姿勢をとれるよう、腰と股関節を柔らかくしよう。そう思っていまでは、あぐらをかくたびに前屈して腰を伸ばし、骨盤を起こして座れるよう矯正、とまではいかないか、ストレッチ、してから静止するようなモーションが出来上がっている。あぐらのルーティン。胡坐のルーティンと、正座のルーティンを磨き上げる。美しい所作を。

#あぐら #181112

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