『覚える』#223

昔は得意だったのかもしれない。しかし不得手だったかもしれない。そう思う根拠はそれぞれに違っていて、つまり内容に依るということがはっきりとわかる。
自動車の名前とデザインを覚えることに凄まじい才覚を発揮していた幼稚園児時代は、振り返ってみても思い出せる意識下の記憶がないので理屈も何もわからないが、わかることがあるとすれば、デザインと名前を丸ごと丸呑みにして覚えていたのだろうということ。近頃、ものを覚えようとするときにはカタログのように並列して名前と写真とがずらっと並んでいるなかでそれぞれ、名前と写真とを符合させながら脳に刻み込んでいく。写真で見る雰囲気と名前の雰囲気とがマッチしていたらうまく覚えられるし、あまりマッチしていなければ結びつきづらい。名前が似た複数個の対象があれば「あれ、どっちがどっちだっけ」と混同する。でも、幼い子供の頃は、「名前の語呂合わせで覚える」とかそんなテクニックなんて意識することなく、「このデザインの車の名前は、これ」と単純に一対の名前とデザインとを符号させて覚えていたのだろうと、推測する。丸呑みだ。だから、要素とか雰囲気とか、分解はできない。昔の自分に、いまの日産フェアレディZを見せたとしても、「ちがう」と言われるだろう。「デザインが変更されてね」と言っても、「ヘッドライトの形が似てるかもしれないけど、これはフェアレディZではないよ」と冷めた目で言われるだろう。あのころのあのフェアレディZがこそフェアレディZなのだ。その点で言えばスカイラインGT-Rは「少し変わったね」くらいで納得してもらえそうだ。
あのころできた丸呑み記憶は、中学に上がる頃にはできなくなった。覚えきれなくて、とにかく物語を引っ付けて、再現可能にするしかなかった。再現する必要のないものは覚えない。そんな鉄則も身につけた。たとえば、高校で習う、三角関数の2倍角の公式、3倍角の公式。あれはついぞ覚えることはなかった。その公式自体がそもそも、基礎の基礎としてある加法定理に基づいたものだったからだ。おおもとの加法定理さえ覚えていれば、同じ角度の値を2つ足せば2倍角だし、それを転用すれば3倍角だって4倍角だって式は作れた。そんな感じで、数学と物理は覚える公式や定理を絞ることができて、基礎応用だけできればよくて得意でもあった。英語も、文型と品詞の理解ができると語順が定まってくるしたくさんある文法もなんだかんだ基礎があってのことで、応用を利かせれば前には進めた。単純記憶で苦しんだのが社会科の特に、歴史だった。年号と出来事を、カタログではなく年表で、覚える。丸呑みにしてしまうと通史ができないのでそれぞれ年表で覚える。でも、歴史の一区切り全てをまるっと覚えきらないと、再現性はぐんと落ちる。それが難しかった。第一次世界大戦を取り巻く日英と仏、独伊、それぞれに抱えた歴史過程を踏まえないと記憶・歴史の構造が成り立たない。その根気がなかった。
あれから10年ほどの月日を経て、いままた記憶の取り組みが始まって、うまく出来るようになったこともたくさんあるのに、うまくできなくなったこともたくさんあって、継続は力なりという言葉の裏面がこちらからよおく見えてしまう。再現性を高めることとは同時に、将来再現するときのことを想像して、自分の物語を、自分の物語に、組み込んでいく。

#覚える #180729

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