『外套』#334

これがほしい。いま一番ほしいもの。特定の、このブランドのこのデザインの何色のコレ、というのはなくて。イメージ的に、というのか、イデア的に、というのか、とにかく抽象的に、欲しいもの。
その外套っていうのは、寒い日に外出する際、部屋で着てるズボンとTシャツとかの上にばさりと羽織って仕舞えば膝下あたりまでほとんどすべて覆われてしまって、足首と足と外套、あとは頭、っていうくらいにまで身を覆えるもの。冬のオフィス街で、年配の大柄の男性が羽織っているような、スーツの上に、これと襟巻きさえあれば十分だ、みたいなのが理想だ。重くたっていい。
前にダッフルコートについて書いたときたしか、外套って単語を出した。憧れは、吉田篤弘さんの小説ではコートではなく外套と書かれていてその物語の中で浮かんでくるイメージが、抜群に格好よくて、その、世捨て人ほど荒んだふうでもなく、しかし世間擦れせず一人夜道を思索とともに歩きながら、北風が吹けば前をぎゅっと締めて襟を寄せられるような、重く大きく、着慣らされた外套。モッズコートやブルゾンてほど柔らかいのでなく、トレンチコートほど薄く硬い感じでもなく、がっしり織られて、しかしフォーマルさもあるような。オフィス街と初めにイメージしたけれど、冬のマンハッタンとか、あるいはロンドンとか、欧米の寒い都市のオフィスワーカー、あるいはロビイストのような。
きちんと外套、コートについて種類を勉強すれば特定のアイテムに辿り着くことができて、「トレンチコートはベルトが自分には合わない、ステンカラーコートでは薄手のものが多いだろう、チェスターコートはシルエットが素晴らしいんだけど首回りが心もとない。…」とか、目指すものへ照準を絞っていける。たどり着きたい地点があるならば必要な過程なのだ、そうなのだ。いつまでも街中で行き交う人を「あ、あの人のはかっこいいな」「お、今の人のなら私の身丈にもスタイルが合うかも」だなんて羨ましがっているより、満足感と機能充足を得てしまえばいいはずなんだ、そうなんだ。
いちばん初めに出会ってしまった理想像が、具象でなく抽象であったがために、いつまでもたどり着けない無限ループ、これはまさに黄金螺旋の中心へひたすら漸近しながらしかし、中心で一致できない、悲しい恋心なのかも、しれない。
「これがほしい」の“これ”にいつまでも漸近し続けるだけの螺旋運動。

#外套 #181117

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